「ノルウェーの森」 を見ました

村上春樹の代表作 「ノルウェーの森」が、
ベトナム人監督 トラン・アン・ユン監督によって映画化されましたね。
早速見てきました。
彼の「青いパパイアの香り」は本当に素晴らしい映画でしたから
とても期待して見に行きました。

で、・・・・

もうお分かりですね?
私 この後 思いっきりネタバレします。
これから見るつもりの人は 今すぐ逃げてぇぇぇぇ!




















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はい、みんな逃げましたね?
もう、この後の文章を読む方は 映画見た方ですよね?

では書きます。
私はこの映画を見ての第一印象は 「本当に日本映画らしい日本映画だ!」というところでした。
特にATGの映画群の、とても良質な部分を非常に良く引き継いだ映画だと思いました。
なぜか、今は殆どこういうタッチの映画は 日本でメジャー資本に乗ることがありませんが、
1960年代~70年代は こういう映画のほうが多かったじゃないですか?

かの黒澤監督は 生前「青い絵を描いているのに、赤くないと言われても困るときがある」という
名言を残しています。

この映画を見て、
「人物背景描写が足りない」「場所の描写がなんだか分からない」「動機の描写がない」
的な、ハリウッド式というかテレビドラマ式の鑑賞法で批評をするのは 私は意味がない事だと思います。

この原作は 都会の青年の喪失感・浮遊感を描いた 世界現代文学のクラシックです。
(この原作が 知名度はともかく、内容面で村上春樹の代表作と言えるのか?と言う問題は
ひとまず置きます)

そういう小説の映画化ですから、こういう時間的に空間的に、非連続な描写のなかで
会話だけがなんとなくつながっている・・・という構成にするのは、大正解だと思いました。
「僕はどこにいるんだろう?」という、この映画の主題は、そのまま「僕はどこにもいない」ということで
あるわけです。

政治闘争からも 解き放たれ、家族や地縁的な紐帯を離れ、時間の連続性からも解き放たれて、
人はどう生きるのか?という
主題を、とても分かりやすい形で表現していたと思います。

この映画は 好みは分かれる映画だと思います。
私、個人的には 近年の日本映画で ダントツの出来だったと思いました。

音楽の使い方が、非常に特徴的な作品です・・・・というか 音の消し方ですよね。
これは 本当に日本映画のある時期の特徴と言うか、音楽のカットアウトの仕方や
音楽そのものは 「日本春歌考」(大島渚監督)の林光を思わせる、不協和音が主体となっていました。
これが、場所のノイズや余計な情報を抜いて、主人公達の心の中だけを見つけることが出来る
ものすごく効果的な使われ方をしています。

実は彼が生きている1968年と言うのは 東京は騒乱の季節の中にありました。
彼の生活の客観描写のところは ノイズを消してありますが、
必ず当時はやったドアーズっぽい曲など
かなり ひずみのあるロックが流れることで、その騒がしさを表現しています。

そして、一転して彼の世界のお話になると、不協和音が流れるのです。
素晴らしい音楽構成だと思います。

さらに撮影も素晴らしいです。
監督の意図が非常に明確で、「画で語る」と言うことの本質的な使い方をしてました。
特に 初めて直子の転地先から手紙が来たときの 螺旋階段のシークエンスなどは
最高ですよね。
あと、ワタナベと緑が、愛の告白をするところの、タイトな2ショットで、ずっと 画面が緑を中心にした
アンシンメトリーになっていて、会話というか 心が通じたところでシンメトリーになるカメラの動きなどは
本当に素晴らしかったです。

本来的な意味で 音と画が 監督が意図するように使われている作品だと思いました。

で、松山ケンイチたちの 口調やお芝居が これまた 「新宿泥棒日記」(大島渚監督)に出てくる
横尾忠則と横山エミそっくりなんですよ!口調も姿勢もなにもかも!
くしくも あの映画も 同じ1968年の新宿区で、政治に興味のない若者が
混沌とした新宿と言う都会で 方向感覚を失っていく様を描いた作品です。

これは偶然じゃないと思います。すくなくとも松山ケンイチさんは あの映画を見たことがあるんでしょう。
それが しらけ世代と言われた あの世代特有のニヒルな感じをものすごく上手く捉えていました。

あとは東陽一監督の「サード」、羽仁進監督の「初恋・地獄篇」などを強く思い出しましたよ。
そうそう、特に画面のつなぎなんかは 「初恋・地獄篇」ですよね!

ATGの作品と トラン・アン・ユン監督が似ているのは 理由があると思います。
彼はベトナム人ですが パリで映画を学び、あの「青いパパイアの香り」も全てパリのスタジオで
撮影した、生粋のフランス映画人です。
ATGは「松竹ヌーベルバーグ」と言われて、フランスのヌーベルバーグとほぼ同じく
競い合うように影響を与え合った 大島らの活動が元になっています。
ですから、ゴダール的な 空間・時間の非連続と言った 形式面の類似があるのは
当然と言えば当然なのかもしれません。

でも「青いパパイアの香り」は とても伝統的な映画文法で撮られていました。
ですから、本当にトラン・アン・ユン監督は、今回わざとこういう スタイルにした事が良く分かります。

これは 自戒をこめてなんですが、
どうしてもテレビドラマ的な手法が染み付いてしまうと
【場面】【人物】【関係】【動作】を きちんと連続して 説明しながら語らなければ
クオリティが低く、テクがない作家なんじゃないか?と思われるような強迫観念があって、
音や画だけで 感情を描くような構成を立てにくいのです。

この作品は状況の説明的なせりふは一つもありません。
それも当たり前なんですが、今の日本で、日本人監督が東宝で取るのであれば、
そのスタイルを外れて、これほど ATGっぽい洗練を見せて作品を取ることは、
非常に困難でしょう。
その意味で 今回はプロデュース面も成功だったと思います。

で、その流れで言うと、
この作品の一番最後の台詞 「僕は いま どこにいるんだろう?」 
を言わせないほうが良いんじゃないか?という議論は当然あると思います。

私が大学映研にいた頃なら この一言だけで 結構この映画を悪く言っていたかもしれません。
でも、プロになった今となっては、やはりこの一言がないと、訳が分からないだろうから
絶対あったほうがいいと思います。
というのも、ストーリーだけを表面的に追うと、とてもイビツな ヘンテコメロドラマですからね。
この主題は 誰にでも分かりやすく 最後に効果的に一言だけ言わせたと言うのは
それもまた 正解だと 思いました。



ただ、私としては 不満な点ももちろんあります。
その最大の点が 原作の非常に重要なシーンである 冒頭 37歳になったワタナベが
ルフトハンザの機内で 偶然流れてきた ビートルズの「ノルウェーの森」を聞いて
過去を思い出す というところが抜けている点です。

確かに、あのシーンを入れるとややこしいと思いますよ。
でもね、世界的にポピュラーな どこでも聞ける曲を 世界のどこでもない 空の上の
読書灯の中で聞いたところから、自分の心の奥底に流れている 消そうとしても消せない
メロディーにまつわる物語を思い出すわけじゃないですか?

ワタナベがあの ノルウェーの森をその前に聞いたときは
直子と一番幸せな時間を過ごしていたときのメロディな訳ですよ。
彼が 直子とつながっていたメロディ=ノルウェイの森 なんですけど
そこが なんか ざっくり描写されすぎていて、かなりがっくり来ました。

この物語の タイトルにまつわるシーンなので ココはあってもよかったのでは?
更に言うと、実際にレイコが弾くシーンは もう少しイルミネイトしていてあっても
良かったのでは?さすがにあっさり風味過ぎやしないか?と
思いました。

あとね、その37歳のワタナベこそ、私が原作で 唯一、激しく感情移入できる人物なんですよ。
私いま 39ですからね・・・・。
だから ちょっと残念でした。


でも 総じて 非常に良い映画でした。

何度も言いますが 「ダメな映画だ」と言う人のことも、その主張も良く分かりますけどね。
この映画こそ好みが分かれる映画だと思います。
でも8ミリを通ってきた映像演出家の皆さんは、みんな 多かれ少なかれ こういう映画を
撮っていたでしょ?
だってATGの映画 憧れませんでしたか?
僕は憧れていましたよ。
だから好きです この映画。
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by AWAchampion | 2010-12-25 01:31 | 映画・演劇など | Trackback | Comments(0)