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ミュージカル「美女と野獣」を見ました

今日ミュージカルの「美女と野獣」を見に、劇団四季の四季劇場に行ってきました。
え?今更?とお思いでしょ?
そうなんです、今更なんです。

この「美女と野獣」は1994年にアメリカで初演され、その後全世界で上演されました。
私は1994~1996年にロンドンに住んでおり、それこそウエストエンドの芝居は見まくったんですが
私が滞在中はまだ「美女と野獣」は ロンドンに来なかったのです。

さらに私はその後地獄のAD修行に突入しましたから、なんだかんだで四季版も見ずに
今まで来てしまったのです。
いわば、「青春の忘れ物」だったので、今更ではありますが 見に行きました。

正直言いまして 出だしのベルが住む森の風景は なんだか背景は安い背景幕だし
セットも小さいし 「あれ?」と思いましたが
そこからどんどん良くなっていき 前半のクライマックス ディナーのシーンは素晴らしいですね。

なんでしょう、どんどん話が後になるにしたがって シーンの構成も加速度的に良くなるという
素晴らしい展開。さすがディズニーだと思いました。

なんとなくキャメロン・マッキントッシュ的な 張り手型の大型ミュージカルに慣れてしまっていたので
そういう 普通の展開のミュージカルが逆に心地よかったです。

それに このミュージカルは 衣装と美術デザインが素晴らしいですね。
セット自体はそれほど凝っているわけではないんですけど、衣装の方の才能は本当に素晴らしい。
それはさまざまなギミックを使っているということもそうですが、
配色が本当に絶妙で、 子供にも好かれるけど 大人の鑑賞にも耐える、いい趣味で統一されていて
さすがだと思いました。

お話自体は まあ ディズニー映画そのままですし チョイ 子供向けだと思いますが
映画になる時点で 練りに練られているので ストレスなく見ることが出来ました。

ただ・・・・・、正直なことを言いますと
私は例の 劇団四季の独特のセリフスタイルにどうも慣れない気がします。
私が良く四季を見ていた 15年ぐらい前 市村さんや久野さん、日下さんがいらしたころ
全然気にならなかったのですが 今回は ものすごく気になりました。

浅利慶太さんの「一音なくす者は稽古場から去れ」という言葉は有名で 
母音に力を入れた独特の
発声法は、確かに客席の奥まで声が聞こえます。
せりふが芝居の基本であるというのはその通りだと思いますし
何言ってるのかわからないお芝居はストレスがたまりますから、
基本的には浅利さんがおっしゃっている「浅利メソッド」は正しいと思います。

しかし役者さんたちの中で この言葉が独り歩きして なんか主客が逆転してしまっていて
とにかく母音をはっきり言う事のほうが、セリフのニュアンスよりも
上に来てしまっている気がしました。
なので、すごく古めかしい紋切型の翻訳調セリフに聞こえるのです。
逆に歌に入ったほうが 感情がこもった日本語に聞こえるというのは 
やはり やり過ぎなんでは?と思いました。

特に男性よりも女性キャストにそれは悪く働きそうです。
「とまどい」「ためらい」「ゆれ」「迷い」「うそ」「憂い」
こういう感情の際に現れる 言い切らない言葉みたいなものが すべて
パキっとした台詞に良いかわるのは、決してベストとは言えないと思います。

つまり程度の問題ですよね。演劇メソッドはあくまで俳優の感情表現の
補助として使われるべきであって、そこのバランスを上手くとるのが
演出家と俳優との対話なんじゃないかと思います。演劇ってやっぱり
俳優の肉体で表現するものですから、演出家と俳優は常に対話する必要が
あると僕は思います。
しかし、浅利さんは今やあまりに偉大な演出家ですから、「こういう表現ではどうか?」
という俳優と演出家の対話など出来ようはずもありません。

もっと邪推するに、これほどロングランでやっておられるお芝居のすべての
役者さんと浅利さんが対話をしているはずはありません。そこで助手の方が
キャストの方と実際には色々お話しされるのでしょうけれど、助手の方の
よりどころとして、「お芝居」よりも「メソッド」が先に来てるんじゃないでしょうか?
そういう事は十分あり得ますね。

どうなんでしょう?ちょっとそこはいろいろ考えさせられました。
私が映像の演出家であるというところもあるんだとは思いますが、それにしても
やはり 塩梅の問題で、今は塩気が効きすぎてるんじゃないかな?と思いました。
by AWAchampion | 2012-06-13 00:19 | 映画・演劇など | Comments(0)