映画「レ・ミゼラブル」を見ました

いやはや 封切から3か月たって ようやく見ることが出来ました。
映画版「レ・ミゼラブル」です。

この映画はミュージカルとして全世界で大ヒットした
キャメロン・マッキントッシュ制作版「レ・ミゼラブル」の映画化です。
もう皆さんのほうが先に見てるでしょうから、ネタバレしますけど
良いですよね?

映画はほぼ ミュージカルと同じように
セリフの部分がなく 歌ですべてが進行します。
その歌もほぼ 舞台どおりですので イントロとか間奏の部分などは
サイズが違いますが ほとんど舞台の時間通りに進みます。

舞台では 何もない回り舞台の上に囚人たちがつるはしを使って
炭鉱で働かされている様子から入りますが
この映画では 巨大な船舶の艫綱を引いている囚人たちの
描写から入ります。

その後はシークエンスの頭とお尻だけ「修道院」「パリ」「パリ郊外のある市」など
の引きの絵が入り、あとは殆ど人間のアップで構成された世界の中で
役者たちが 実際にカメラの前で歌い、演じます。

MGM映画の昔から 本来ミュージカルはリップシンクと言い
事前に録音した音源を流しながら 口パクするのが普通です。
というのは、別にそれは楽をしているからではなく、映画は1台のカメラで
様々な角度を何度も撮っていくものなので
毎回ブレスの位置などが違っては 合わなくなってしまうからです。

映像の、特に照明を最高のクオリティに保つためには 1カメラで撮るのが
最適ではありますが、テレビドラマなどでは 数台のカメラで一度に
ワンシーンを撮る 「マルチカメラシステム」というのを採用しています。

これを映画で最初にやったのが 黒澤明監督の「天国と地獄」で、
今ではテレビ出身の映画監督も増え、カメラのコストなども下がったことから
映画もマルチカメラで撮られることが多くなりました。

で、この映画はどうやら一度に毎回3台のカメラで撮り、役者はちゃんと
歌をワンフレーズ歌いながら撮影していたようです。

やはり感情を入れて歌い切るには そう何度も出来るものではありませんし
曲をある程度の長さ歌ったほうが良いわけです。

ということで、ほとんどのカットがクローズアップになるという
ミュージカルとしては非常に珍しい映画となりました。

これはこれで良いと思いました。
丸刈りの女性(アン・ハサウェイ)を見て 誰もが無声映画の傑作
カール・ドライヤー監督の 「裁かるるジャンヌ」を思い浮かべたことでしょう。
これほど力のある役者、完璧に近いキャスティングをしたので
あとはアップを撮っていくというのは、映画の一つの割り切りとしては
アリだと思いましたし、私も何度も何度も泣きました。

それを大成功だと思いつつも しかしそれは私が既に
舞台版「レ・ミゼラブル」を最前列でも一番後ろでも 東京でもロンドンでもNYでも
述べ30回ぐらい見ているから、流れも話も人の配置も分かってるからなんじゃないかな?
とちょっとした疑念もあることはあります。

まあ世界で既に6000万人が見た ここ30年で最高のミュージカルなんだから
見ている人向けに作っても良いとは思いますが
テレビマンとしては、もう少しシーンや 背景、今 おかれている空間的配置などについて
説明が丁寧にあっても良かったんじゃないかな?という気もしました。

私自身 見ていて 舞台の素晴らしいスペクタクルな場面をまず想像し
その出演者を鹿賀丈史からヒュー・ジャックマン  村井邦夫からラッセル・クロウに
置き換えてみていました。

舞台の素晴らしい演出ありきのクロースアップ映像なんじゃないかな?という
気はします。

その意味では ヴィクトル・ユーゴーの長大な小説「ああ無情」を
休憩を含めて3時間半に閉じ込めて、前半を役者の肉体中心で、
後半を巨大なバリケードのセットを絡めて スペクタクルだけどシンプルで象徴的な
素晴らしい演出をした
ロイヤル・シェークスピアカンパニーの 鬼才演出家 トレバー・ナンと
カナダ人演出家 ジョン・ケアードの二人の仕事の凄さについて
改めて驚嘆せざるを得ないのです。

私がミュージカル「レ・ミゼラブル」を帝国劇場に見に行ったのは
1991年 当時お付き合いしていた カナコちゃんに連れられて行ったのが最初ですが
彼女の事をすっかり忘れるぐらい感動したのを覚えています。

映画も素晴らしかったですけど、やはりあの時のファーストコンタクトの
「とんでもないものを見た!」感は 舞台版の感動を超えられない気がしました。

「超A級の映画だし 見るべきだし アリな手法だけど
全ては ミュージカルを見てからじゃないと始まらない」というのが私の感想ですね。


多分マリウスが バリケードから助けられたけれども ジャン・バルジャンだとは
気が付かない・・・とか、
ジャン・バルジャンは市長として大変尊敬されていた。だから逆に
ジャベールに目をつけられた。とか
そのあたりの描写は飛ばし過ぎな気がしました。

あと舞台では 第一部の最後になる 素晴らしい「One day more」も
アップショットの積み重ねだとああなりますよね・・・。
あそこは はっきり舞台の方が良かったと思いました。
もっとドイツ映画の傑作 「会議は踊る」の
「ただ一度だけ」のシーンみたいにすれば良かったのに?という気はしました

舞台は 全体が見えて 視点の変化は観客が勝手に想像力で行うんですけど
映画は 観客の視点を支配してしまうだけに、もう少し象徴的な美しい引きの絵が
多くても良かったんじゃないかな?とは思いました。

特にエポニーヌのソロ 「On my own」ですよねぇ・・・。
あそこは 島田歌穂さんが 舞台を一人歩きながら歌うほうが良いですよねぇ・・・・。
いや、映画は映画で良いのよ。
良いんだけどね・・・。あの舞台と比べちゃうとねぇ・・・、

特に曲調に合わせて 舞台では照明が変わったりするんですよね
それが舞台のスペクタクルを醸し出しているんですけど
そういう所は 映画でも導入しても良かったんじゃないかな?と思いました。

「In the rain. the pavement shines like a silver」ですからねぇ・・・
やっぱりペイブメントは シルバーに光って 川のようにもう少し見えても
良いんじゃないかな?というのは 誰しも思いましたよね?
頑張ってはいましたけどね・・。痛いほどやりたいことは分かりましたけどね。
そこまでリアリズムじゃなくても・・・って気もしませんでしたか?
そぼ降る小雨の中、一晩中マリウスの事を思いながら歩く・・・って歌なんですから
夢の部分は夢でもいい気がしました。 

舞台版では 照明はすべて赤っぽいロウソクの明かりっぽくしてあるんですが
登場人物が死ぬと 真っ白な「天上界からの光」が当たって 「天に召された!」
という感じを サス照明一本で表現しているんです。

それが最後の ジャン・バルジャンの死のところなんか 
とんでもなく効果的になってるんです。
照明部に関しては はっきり舞台の方が良かったかなぁ・・・。
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by AWAchampion | 2013-04-18 16:15 | 映画・演劇など | Trackback | Comments(0)