はしだのりひこと私、そして母

昨日、元フォーククルセダーズのはしだのりひこさんが亡くなられたそうです。

そこでふと思い出すことがあります。
私の家では家族でカラオケに行く習慣が無く、母のカラオケというのも
殆ど聞いたことがありませんでした。
しかし何かの機会に一度だけ 母がマイクを握って歌った歌。
それがはしだのりひことシューベルツ「風」と、
はしだのりひことクライマックス「花嫁」だったのです。

で、その時代背景を見てみました
私の母親は元々 東京/駒込の染井霊園の近くで生まれましたが、18歳で
単身 兵庫県宝塚市にある宝塚歌劇団の門を叩きました。

母が東京から宝塚に来たとき、まだビジネス特急こだまが東京~大阪を8時間で結んでいる頃
宝塚市までは10時間以上かかったと言います。
さらに当時の宝塚市は、山間のちいさな温泉町。「ここで私は暮らしていくの?」と
母は呆然としたと言います

ご存じの通り宝塚歌劇団は見た目は華やかですが、その内情は非常に苛烈な
競争社会です。母の同期にはのちの大スター 鳳蘭・汀夏子らがいて
それはそれは大変だったと聞きます。

そんな母が7年経ち 父と恋に落ちて結婚を決意した時・・・実はそれが1969年の
「風」のヒット時だったのです



♪ヒトは誰も 1人旅に出て ヒトは誰も ふるさとを 振り返る
 ちょっぴりさみしくて 振り返っても そこにはただ 風がふいているだけ ♪

そして、それから2年後 母は第一子である私を身ごもり、臨月を迎えます。
故郷から離れ、母は宝塚市の片角にある小さな個人病院で私を産まんとしていました。
当時父は演出家としてデビューしつつも、演出助手も兼務、なかなか自宅に帰れない
日々が続き、母は孤独にそのときを待っていました。

そんな時、病室のラジオから流れていた
昭和46年2月の第一週のオリコンチャート1位がこの曲だったのです。

♪ 命かけて燃えた 恋が結ばれる。
  帰れない 何があっても 心に誓うの ♪

もちろん母は駆け落ちをしたわけではありません。
でもなんとなくキーワードが胸に刺さるのは
いま、息子が母の当時の年齢を20歳 超えた今 よく分かります。

この曲は私の母を、娘から母親にした曲といえます。
そして、もしかしたら生まれ落ちた私がはじめに耳にした曲かもしれません。

母が一度だけ歌った2曲
そこには 母が母になる前の 青春の想い出が詰まってました。

はしだのりひこさんのご冥福をお祈りいたします。






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by AWAchampion | 2017-12-03 07:32 | Diary | Trackback | Comments(0)