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ドキドキの映画番組

1980年代中盤にレンタルビデオが普及するまで
映画は映画館かテレビで見るものでした

とくに民放各社は21時~23時に洋画枠をもっていて
月曜日の「月曜ロードショー」荻昌弘 (TBS系)
水曜日の「水曜ロードショー」水野晴郎(日本テレビ系)
土曜日の「ゴールデン洋画劇場」高島忠雄(フジテレビ系)
日曜日の「日曜洋画劇場」淀川長治(テレビ朝日系)と
それぞれ 映画解説者の個性とともに 人気番組だったのです

そんな中、たま~に 土曜日の「ゴールデン洋画劇場」や
日曜日の「日曜洋画劇場」で 
フランスやイタリア、それにアメリカの
ちょいエロ映画を放送することがありました

その代表格がフランス映画「エマニエル婦人」だったり
イギリス映画「チャタレイ婦人の恋人」
さらにはアメリカ映画「初体験・リッチモンドハイ」「ポーキーズ」
そして、イタリア映画の「青い体験」などでした
あ、イスラエル映画「グローイングアップ」なんてのもありましたね

今から思えば21時という 比較的浅い時間に
ガッツリポルノのエマニエル婦人を流すというのも 結構豪気な事だと
思いますが、当然 当時10歳になるかならないかの私は
その日は主に母に追い立てられるようにして 寝るように言われたものです。

中でもなぜか「ゴールデン洋画劇場」はイタリア映画の
「青い体験」が好きで 何度も何度も放送していました



子供でもラテ欄を見れば、これがエッチな映画だと分かります
ですから 80年代も半ばになると テレビが自宅に複数台ありましたから
そ~~~っと「青い体験」を見たものです
特に大体 9時45分ぐらいがエロシーンの最高潮辺りかな?と踏んで
そ~~~っとイヤホンつきで見たものです

で、時代はめぐり
いまや その「青い体験」もDVDを買える時代になりました
そこで知ったのですが
あの「青い体験」の撮影監督は 
なんと「暗殺の森」「ラスト・タンゴ・イン・パリ」「地獄の黙示録」で
おなじみ
巨匠中の巨匠 ヴィットリーオ・ストラーロ その人だったのです!



えええ!ストラーロ?
映画撮影の神様ですよ!

何してんねん!イタリア人!

笑いましたねぇ。

これはDVD買ってみないと駄目ですね(笑)



by AWAchampion | 2016-09-14 23:28 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

ずうとるびの思い出

笑点の新しい司会者が決まったということなどを
聞いてあることを思い出しました

私の父は私が3~4歳の一年間 文化庁の派遣でイギリスにおりました。
父が帰ってきて半年後ぐらいのこと・・・・
父「倫太郎はどんな歌手が好きなんだ?」
私「○○○○!」
父「おお!ビートルズか?何の曲だ?」
私「LOVE TRIP!」
父「ん?そんなのあったかな?」
私「スカイミントの歌!」


そう、その頃私が好きだったのは ビートルズではなく、ずうとるびだったのです

それを知った父の絶望の顔といったら・・・・(笑)

年代で言えば1975年ぐらいのことですから
ビートルズ解散直後ですからね。

私のほうは どうやらそのころ例の今は座布団を運んでいる山田君が
抜けたあとのアーチスト路線ずうとるびのファンだったようです

とはいえ曲も何もまったく忘れていたのですが
最近you tubeを見ると その頃の後期ずうとるびの姿も見ることが出来ます

するとちょっと思いました・・・
父が絶望するほど趣味が悪いわけでもなかったのでは?



確かにビートルズと比べちゃうとアレですが、山田君が抜けたあとのずうとるびは
近田晴夫さんなどにプロデュースされて 4人編成の男性ボーカルユニットになっていて
ちょっとコモドアーズとかみたいな、ファンクでR&Bな感じになっていたのです。
当時のフォーリーブスなんかも、そういう曲調だったりするから はやってたんでしょうね
それはそれでありだったんだなぁ・・・と今では思います(笑)



by AWAchampion | 2016-05-23 02:40 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

千鳥饅頭の思い出

千鳥饅頭をご存知でしょうか?
東京・巣鴨にある老舗和菓子屋 千鳥屋総本家が作っている
こういうお饅頭です
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なかはこんな風に 少し乾いた感じの
白あんが入っています
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私はこの千鳥饅頭に深い思い入れがあります。
この千鳥屋総本家は私の母 泰子の実家のすぐ近くにありました
そこで、母方の祖母が折りに触れて我が家に送ってきていたのです。
ですから、この千鳥饅頭は私の幼少期 常に我が家にあったのです。

これにはわけがありました
私の父が私の母の実家に「娘さんを下さい」というお願いに行ったとき
祖母は父に、「我が家のすぐ近くにあるお饅頭屋さんのお饅頭ですよ」と
このお饅頭を出したそうです

すると父は一個食べるなり「なんて美味しいんでしょう!さすが巣鴨!さすがこちらのお宅は
良いものをご存じ!」と喜んで褒めちぎったそうです
それ以来祖母は「敬二さんが好きだから」と何かにつけて我が家にこの千鳥饅頭を
送ってきたというわけなのです。

でも・・・私が覚えている限り自宅でこのお饅頭を父が食べている姿は記憶にありません。
まあその理由は、父が結婚した年齢よりも20年近く年長になった私にはよくわかります。
父は私と似てお調子者ですからね。
得てして「よいしょ!」と太鼓をたたき過ぎる時があります
私も今日 地方でご老人相手のロケをしていて、ビックリするほど太鼓をたたいていましたからねぇ・・。
父と子は似てくるものです。


なぜそんなことを思い出したのか?

実はこの千鳥屋総本家が不渡りを出したそうで
今日のヤフーニュースに載っていました
大人になってから確かに私も食べていないなぁ・・・。
こんなことならもう一回ぐらい食べておけばよかったなぁと思っている所です。


by AWAchampion | 2016-05-16 23:36 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

スマイル ¥0

先日 ロケで大阪に行く機会がありました
一人でJR大阪駅から阪急梅田駅まで歩いていると
そこにマクドナルドを見かけました

あのマクドナルドだ・・・・
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そこで30年前のある夏の日を思い出しました


当時私は中学三年生
梅田に一人で買い物に出かけていました

「お腹が空いたし、のどが渇いたなぁ」

しかしサイフには500円しかありません

そこでふとこのマクドナルドを覗いたら・・・




「スマイル ¥0」




ん?

スマイル?

メニューに載っていて タダのもの・・・・

・・・・・

水のことかな?

こじゃれた言い方で 水の事をスマイルって言うのかな?

でも・・・

どう考えてもスマイルってほほえみの事だし。

でも・・・

スマイルって目薬もあるから 液体の事をスマイルって言うのかな?

でも・・・

もし水じゃないのに 「ハンバーガーとスマイル下さい」って言って
笑われたら・・・

でも・・・

のど乾いた





と、この店の前を右往左往して
自問自答する事 40分

最終的に諦めて電車に乗って宝塚に帰りました


そんな事を思い出してしまいました


あの時「スマイル下さい」って言ってたら
その後ネタにしたんだろうなぁ (笑)





by AWAchampion | 2015-10-30 08:59 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

初めてのバイトの思い出

今週号の週刊SPAの表紙に
「パンチラ危険地帯を探せ」みたいな記事のキャッチコピーが載っていました

バカだなぁ…

と、おもいつつも 私は25年前のある出来事を思い出しました。

1990年、平成2年
私は都内W大学の一年生として、東京から出てきたばかり
映画研究会に入って既にほぼ部室に入りびたりの生活をしていました

と、ある日 
友人の原口くんが「ねえ、いいバイトがあるんだけど、一緒にやらないか?」と
部室で誘ってきました。

当時バイトをやったことが無かった私は
「な、なんだろう?家庭教師かな?」

等と思い

聞いてみると…

「いや、映画研究会の先輩の上野さんがSPAの
ライターをやってるんだけど、その下調べらしいんだ…」

なんと週刊サンケイから新しくなった 
超イケてる雑誌SPAの
ライターのバイトというじゃないですか!

東京スゲェ!
夢のマスコミ人だ!

おお!

もちろんOK

時はバブルです
夢のマスコミ人!雑誌ライター

これはザギンのチャンネーとシースーパターンか??

「俺…田中康夫になれるのか?」

とか思いましたねぇ…

で、

その内容とは…

『都内パンチラスポットを探せ』

だったのです。

あらら…

ええ。

いきましたよ博多出身の原口君と 兵庫県宝塚市出身の岡田君が
ぴあから出てた『ぴあMAP』持って

「俺、こんなことするためにW大に入ったんじゃないのになぁ」

で、
●東京駅10番線
●サンシャインシティ階段
●サンシャイン60展望台
●江東区市民図書館 付設市民プール

などなど数多くのスポットを視察。

一時間で何人のパンチラが見られるのか?みたいな
レポ書きましたよ…とほほほ

採用されたら5000円というバイトで、一人5000円もらったので
原口君と合わせて2か所採用されたんですかね?

これが私の初バイトとなりました…

ダメだこりゃ…




by AWAchampion | 2015-05-26 13:49 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

べ、別人?

いやぁ
先日弟から1991年に撮った写真をもらいました

わははははは

左側が私ですが
全くの別人です

わははははは

今はこの面影が全くありません

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by AWAchampion | 2014-08-15 16:39 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

いやぁ・・・知らなかった

実は先ほど セーラーズのコラムを書くのに
色々画像検索してたら なんか こんなのが出てきました

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これは 当時 おニャン子クラブのメンバーがごく初期に持っていた
まさに会員番号ですよ!

おややや?

住んでるところ書いてるじゃないですか?

その子ちゃん 国分寺に住んでたのね?

いや、当時から 新田恵利が埼玉県の上福岡で、渡辺満里奈が蒲田というのは
番組の中でばらされてたから知ってましたよ?

でもその子ちゃんが当時国分寺に住んでいたとは、
あの熱狂的なファンだった 15歳の岡田倫太郎君は知りませんでしたねぇ。
知ってたら、その数年後 大学生になって東京に出てきて まず初めに住むのは
100%国分寺だったでしょうけど、実際には上井草でしたからねぇ

今は「会えるアイドル」が主流ですけど
そんなことは もちろんAKBからで、私が記憶する範囲では
大阪でおニャン子関係の握手会的なイベントなんて無かったですよ。当時・・・。
半年に一度 ステージの上だけでみられるスターだっただけに
なんか ビックリしました

(しかし考えてみれば、当時高校生の僕がその子ちゃんと握手出来て
10秒ぐらいお話出来て、認知されるかも?なんて事に成ったら
多分全財産はたいてたでしょうし、バイトもやってたでしょうし
その後の人生は大分ねじ曲がっていたに違いありません。良かった、秋元さんが
その頃そんな悪魔のシステムを開発しないで・・・)

それにしても この写真はその子ファンとしては納得しません

ちゃんとしたのも載せます

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このレコードは予約して 宝塚市の逆瀬川にあったレコード屋で買ったなぁ・・・。

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この2ndアルバム『シエスタ』は 本当に名盤ですよ!
多分私が 初めてレコードではなくCDを買ったのは このアルバムだったと思います
当時CBSソニーだった 河合その子は ソニー傘下だったので
CD発売が早かったんですよね?確か。
by AWAchampion | 2014-05-11 00:00 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

セーラーズ!

うわぁぁぁ 忘れてましたぁ

え?何をって?

それは セーラーズ 復刻販売ですよ!
GW限定で、なんと原宿ラフォーレで店が出てたんですよねぇ

マジかァ・・・痛い。痛すぎる。


え?何をそんなにがっくりしてるのかって?

そりゃそうです。

セーラーズと言えば1985年ごろ爆発的なブームとなった
ブランドですよ。
とんねるず・おニャン子クラブらが着ていたじゃないですか!
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(ちなみに左側は のちの秋元康夫人 高井麻巳子です 右側はゆうゆこと岩井由紀子ですね
たしか会員番号は 高井 16番 岩井 19番だったですよね?・・・このフジテレビアイドルに
番号が付いているのは その後 チェキっ娘は ID○○ アイドリング!!!は ○○号 と言う風に
受け継がれていくのが懐かしいです)

それはそうと、セーラーズ! これですよ!
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いやぁ・・・原宿ラフォーレでセーラーズですよ。
行けばよかった。

いや、別に今更このTシャツをオッサンが着れるわけはありませんよ
でもそういう事じゃないんです
このTシャツには私の人生の 一番きらきらしていたころの
色んなものが詰まっているんです

1985年当時 本当に地方の中高生にとって
セーラーズはテレビの中の等身大のスターたちが着る
いわば その後の裏原ブランドの走りみたいなブランドでした。

Tシャツは当時でも8000円ぐらいしたのかな?
当時は 渋谷の公園通りを昇り切ったところの
NHKの向かい側の eggmanの上あたりに店があったんですよね?

私も東京の親戚の兄ちゃんに文句言われながら買ってもらったもんです。

いやぁ 懐かしい
あのころの東京はピカピカと輝いていましたよ。
だってマイケルジャクソンまで セーラーズのビンテージジャケット着てたんですから

あの三浦社長はその後 越中詩郎の彼女?と噂されたりしたことも
あったんじゃないかったでしたっけ?
(うろおぼえです)

いやぁ懐かしい。
マジ これは行くべきだったですよ。
あの熱い1985年=昭和60年に青春時代を過ごした者としては・・・。
by AWAchampion | 2014-05-10 23:44 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

ミル・マスカラスin新宿

Viva Mexico!
いやぁ、燃えました。昨日は燃えましたよ!

え?何がって?

そりゃ、仮面貴族 ミル・マスカラスが新宿に来たからですよ!!!

いやぁ良かった。

ご存知の方ばかりだとは思いますが
一応ご説明しますと、ミル・マスカラスとはメキシコの伝説的なレスラーで
1971年 日本プロレスに初来日以来
毎年 少年ファンに熱狂を持って迎えられてきた、空中殺法の元祖で
そのテーマソング「Sky High」は大ヒットしました。

もう マスカラスは70歳なんです。
でも 30年前と同じような逆三角形の体で ちゃんと上半身裸になり
試合をしてくれましたよ!

その記事と写真がこれ!

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2013/columndtl/201304110004-spnavi

昨日は新宿FACEという 大体500人ぐらいのプロレス専門会場に
マスカラスが出るという事で、立ち見の超満員!
しかも場内はスーツを着た50代の男性も多く、後厄の私はどちらかというと年少組

まあそりゃそうです。マスカラスの全盛期は1970年代後半でしたからね。
そのころの少年ファンが詰めかけたわけです。

場内にあの伝説的なテーマソング「Sky High」が流れると
会場は一気に1976年あたりの後楽園ホールの雰囲気!
黒いオーバーマスクをつけたマスカラスが登場です!

そして ミスター新日本プロレスであった田中ケロ リングアナから
コールを受けると オーバーマスクを会場に投げ入れました!

それまでは 一応いい大人として座っていたファンたちも大騒ぎ!
一瞬にして少年ファンに戻って マスクの取り合い!
いやぁ・・・・泣ける。なけるよぉ!


もちろんあの機敏な30代~40代の動きが出来るわけもありません
でも ヘッドシザース・サーフボードストレッチ・メキシカンクラッチが出るたび
会場は大歓声!

そして・・・

あの伝説的な フライング・クロスチョップが!!!

あああ(感涙)

そして・・・

あの伝説的な フライング・ボディーアタックが!!!

ああああ(驚嘆)

ありがとうマスカラス!

ムーチョ グラシアス!アミーゴ!

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by AWAchampion | 2013-04-12 19:36 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)

アイドル系の話をすると、このブログのPVが飛躍的に伸びます。
それに味を占めて、今回は1980年代の、私が現役でアイドルファンだったころの
文化の話をします。

今のアイドル歌手のフォーマットは 基本的には1970年の天地真理あたりから
確立され、キャンディーズでほぼ今の形になったと言われています。
全国的なファンクラブが結成され、ファンクラブの会員になるとイベントがある・・・的な。

それに歌の途中に合いの手=コールを入れるようになったのも
キャンディーズのファンがほぼ最初です。
彼女たちの解散コンサートのVTRを見ると、すでにBメロで
パン・パ・パン オ~! と揃いの掛け声と手拍子をしている、今でいうPPPHが確認できます。

キャンディーズには「全キャン連」というファン組織があり、全国展開をしていましたが
その後アイドル文化には 「親衛隊」と呼ばれる 事務所公認のファン自治組織が
結成されることとなります。

これは諸説ありますが、少なくとも 石野真子・榊原郁恵・大場久美子あたりの1978年ごろには
「親衛隊」という名前で存在しました。
セサミストリートで一緒にディレクターをやっていた、NHK教育「おどろんぱ」の演出で
知られる小林敬直さんは大場久美子の親衛隊の様子を面白おかしく語ってくれたことがあります。

この親衛隊は ファンの有志が作るものなのです。
で、それはファンクラブとはまた違うんです。
今から考えても非常に独特の文化を持っていたので ここに私が記憶する範囲で
資料を見ずに見たものだけを書きたいと思います。

1986年 私は河合その子の大ファンでした。
そこで見た光景ですが、親衛隊はコンサートの3時間ぐらい前から、ホール前で
そろいの特攻服を着てコールの練習をしています。
親衛隊入隊希望者は、そこで団長に直談判をし、入れてもらうことになります。

彼らには鬼軍曹的な人「支部長」がいて、真っ赤な統制棒(交通整理の赤灯)
を持ってコールを指揮します。

彼らはコンサート会場のもっとも後ろの席に陣取り、
ファンのコールを指揮します。
彼らの掛け声を真似して、他のファンはコールをするのです。

また、ヤジを飛ばすようなファンは親衛隊に怒られます。
私も怒られたことがあります。

親衛隊は、その地方で行われる、そのアイドルのイベントには強制的に
参加します。
さらに、そのアイドルにとって大きなイベントの場合は、別のアイドルの
親衛隊が応援に駆け付けるのです。

そこで、応援に駆け付けた支部長は
「オス!我々水谷真理隊 関西総本部宝塚支部 合計8名 応援に駆けつけました!」
迎え入れる支部長は
「オス!水谷真理隊の皆様!今日は早見優コンサートに駆け付けてくださりありがとうございます!
今日はよろしくお願いいたします!」

・・・・と、やくざ映画よろしく仁義を切るんです。

これ、当時実際に高校の友達にやってもらいましたから本当です。

で・・・駆け付けた別のアイドル親衛隊の隊員は 歌とかコールを知りませんから
ホールの前で3時間ぐらい前からみんなで練習するということになるのです

なんか応援団文化とヤンキー文化がいっしょになったような
不思議な文化でした。

当時【小泉今日子の親衛隊が最強】みたいな・・・何がどう【強い】のか
分かりませんが そんなことを言われていた記憶があります

今、AKB48の親衛隊です・・・ってあまりメディアでも取り上げられませんが
多分ないんでしょう。
物凄く昭和のにおいのする文化でしたからね。

それにナンパな私立高校出身の私は、とてもとてもおっかなくて
親衛隊には入れませんでした。
だからこそ懐かしく思い返されます。

by AWAchampion | 2013-02-26 12:12 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)