- 歌謡曲スタンダードナンバー その24 「レンガの小径」 追記版[ 2010-10-08 04:01 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー その23 無言坂[ 2010-05-12 21:45 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー 番外編 その4 百恵ちゃん関係の超絶映像[ 2010-01-06 19:42 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー その22 「天使の誘惑」[ 2009-12-09 23:40 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー その21 「硝子坂」[ 2009-11-29 23:42 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー その20 「今夜はブギー・バック」(追記)[ 2009-10-17 21:39 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー 番外編 その3 忌野清志郎[ 2009-05-02 23:33 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー その19「異邦人」[ 2009-04-30 08:12 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー その18 「My Revolution」[ 2009-04-29 17:28 ]
- 歌謡曲スタンダードナンバー 番外編 その2[ 2009-04-29 09:23 ]
カテゴリ:歌謡曲スタンダードナンバー
埋もれさせたくない 歌謡曲の名曲をつづるコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
久々の今回は、私が愛してやまない 二人のアイドル
河合その子と松田聖子の物語です。
私はこのブログでも何度も触れているように、
高校時代をほぼ 河合その子の曲だけで過ごしたといったも
過言ではないぐらい 熱病のように大ファンでした。
ここで彼女をご存じない方のために サラッとおさらいしますと。
昭和40年 6月20日 愛知県東海市生まれ
高校卒業後 CBSソニーのボーカリストオーディションで入選
(優勝者は渡辺美里)
1985年4月からは おニャン子クラブ 会員ナンバー12番として
ブレイク。
1985年9月1日 「涙の茉莉花LOVE」でソロデビュー
1985年12月 品川プリンスホテルにて ファーストコンサート
1986年3月 代表曲 「青いスタスィオン」でオリコン1位を獲得
おニャン子系ソングでは、最も売れた曲となる。
1987年8月24日 よみうりランドシアターEAST にて「その子の夏」という
コンサートを行う。
1991年 引退 作曲家 後藤次利氏と結婚
という経歴です。
彼女はとにかくフランス人形のようなビジュアルで、本当に美しいのですが
もともとは歌手志望で、実際曲もかけたぐらいピアノが上手でした。
そんな彼女は 松田聖子の大ファンで、
一度ベストテンで会ったときに泣き崩れたというエピソードもありました。
そんな彼女が、キャリアの中で一度だけ 聖子ちゃんの歌をカバーしました
それが、「秘密の花園」のB面 「レンガの小径」でした。
作詞 松本隆 作曲 財津和夫 の超名曲です。
その映像が今は普通に見られるんですよねぇ・・。
1987年8月24日
よみうりランドシアターEAST 公演から
どうよ?この美しさ!
いやぁ、これはもう最高過ぎますよ!
ちなみに 私はこの日 この公演を 大阪から見に来ていました。
前から15列目のど真ん中。
もう最高でしたよ。
特にこの澄んだその子さんの弾き語りを聞いている瞬間
本当に「ああ、今 俺の人生のなかで一番美しい瞬間だなぁ」と
本当に感動したものです。
この日は 何度も何度も
「俺!おおさかからキタデェ!」と叫んだので
最後のMCで その子ちゃんが
「今日は 遠くから来てくれた人もいるみたいで・・・ありがとうございました!」
と言ってくれたときは、本当に感動して、死んじゃうかと思いましたよ。
この映像は、当時テレビディレクターだった 堤幸彦監督がおとりになったというのも
トリビアです。
もちろん 今でも、僕の人生が14000日ぐらい過ぎていますが、
この曲を聴いていた瞬間が もっとも清らかな瞬間だったということは変わりません。
で、聖子ちゃんのバージョンも挙げておきます。
これは ギターのアルペシオが美しいアレンジで、
聖子ちゃんならではの、本当にいい曲ですよね。
ここで作詞家 松本隆について考えて見ましょう。
この「レンガの小径」の歌詞も素晴らしいです。
♪ 草萌える レンガの道の
突き当たり あなたの家ね
呼び鈴を 押したけど
もう誰も いない
この部分だけで はっきりと失恋の心象風景が浮かんできませんか?
秋元康が著書で「良い詞とは、情景が目の前に浮かんでくるようなものである」と
言ったことがあります。
彼は 阿久悠の 「津軽海峡冬景色」を例に出して、
♪ 上野発の夜行列車 降りたときから
青森駅は 雪の中
北へ帰る 人の群れは 誰も無口で
海鳴り だけを 聞いていた
という 素晴らしい歌詞を上げています。
秋元氏自身も 「川の流れのように」で
♪ 知らず知らず 歩いてきた
細く長いこの道
振り返れば はるか遠く
ふるさとが見える
と書いています。
ただ、松本隆が彼らと決定的に違うのが 彼はデビュー時 はっぴぃえんど のときから
一貫して 同じ架空の町 「風街」を舞台にしているという点です。
はっぴぃえんどの「風をあつめて」でも
♪ 街のはずれの 背伸びした路地を
散歩してたら シミだらけの
モヤ越しに 起き抜けの 路面電車が
海を渡るのが 見えたんです
この路地の先に 多分 レンガの小径も続いているんでしょう・・・という
独特の透明な世界観で、多くの曲が彩られているという、強い作家性があります。
今、あまりここまで強烈な心象風景を描く作詞家はいないでしょう。
その意味でも、非常に松本隆らしい一曲といえると思います。
埋もれさせたくない 歌謡曲の名曲を綴るコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
久々の今回は、今話題の玉置浩司作曲作品、香西かおり歌の名曲 「無言坂」です。
これは作曲者の玉置氏と香西さんがデュエットした貴重な映像ですね。
1992年のレコード大賞受賞曲で、作曲は玉置さんなんですが、
作詞の市川睦月という人は、あまり他では目にすることがありません。
実は、この市川睦月氏は、私の師匠 久世光彦のペンネームなんです。
久世さんは東京の坂が好きで、私の先輩に「東京にある坂の謂れを全部調べろ」と命じたこともあるぐらい
でした。
無言坂という坂は実際には東京にはありませんが、「ここを通る人は誰しも無言になる」と言う坂は
いかにもありそうで、久世さんらしいネーミングだと思います。
久世さんは玉置さんだったり、最近の人だと
一青窈さんだったりと、ちょっと哀愁のある日本っぽいモダンな曲調が好きでした。
この曲を聴きながらそんなことを思い出しました。
このVTRの中でも ちらっとそんな話が出てきますね。
「無言坂」 作詞市川睦月 作曲玉置浩司 歌 香西かおり
埋もれさせたくない 歌謡曲の名曲を綴るコラム
「歌謡曲スタンダードナンバー」 今日は 番外編として 山口百恵関係の
超絶レア映像をお送りします。
まず最初は、フジテレビ 「夜のヒットスタジオ」のリハーサルで
遊びで行われた 山口百恵と桜田淳子による デュエット 「渚のシンドバッド」
うわ! こんなのあったんだ!!
という 超お宝映像です。
続いて TBSテレビ 「ザ・ベストテン」黎明期 にあった 世紀の2ショット
山口百恵と松田聖子 です。
これはどう考えても 聖子ちゃんのデビュー年 1980年にしかあり得ない光景でしょう。
だってこの年に百恵ちゃんは引退するのですから。
今まで 彼女達の2ショットはないとされていましたが、あったんですねぇ・・・。
ちなみに 郷ひろみと聖子ちゃんのその後の展開を知ってしまった今、これを見ると
複雑ですネェ・・。
埋もれさせたくない歌謡曲の名曲を綴るコラム 歌謡曲スタンダードナンバー
22回目の今日は、黛ジュンの『天使の誘惑』を取り上げます。
この歌は1968年(昭和43年)に発表された曲で、まさに元祖和製ガールズポップといえる
アイドルソングです。
作詞はなかにし礼 作曲は鈴木邦彦です。
you tubeにはなんと、当時のPVともいえる スポニチの映像が残されています。
今見ても黛ジュンが、キャミソールで唄う姿は本当に ブリブリのアイドルという感じがしますね。
私はいつも思うのですが、この曲は40年以上前の曲とは思えない
みずみずしさにあふれています。よく聞くとハワイアンなんですね。スチールギターが多用されていますが、
そこに、ティンパニーなどの楽器が絡むことで、晩年のエルビス・プレスリーの曲のような
洒脱な、良きポップスの雰囲気が出ています。
あと、特徴的なのはストリングスの良さですね。
♪ わたしの くちびるに ひとさしゆびで~ ♪ あたりのバイオリン隊のアレンジはすばらしいです。
鈴木邦彦氏は 奥村チヨの「恋の奴隷」なども手がける、当時のアイドルソングの名手でした。
その腕前の片鱗をうかがうことが出来ますね。
埋もれさせたくない歌謡曲の名曲を綴るコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
最近ちょっと歌謡曲とはいえない曲が続いていましたが、今回はバリバリの歌謡曲です。
高田みづえのデビュー曲として名高い「硝子坂」です。
実は私は、歌謡曲マニアとして知られる落語家の立川志らく師匠とお仕事を何度かさせていただいた
ことがあるのですが、その時に志らく師に「ご自分の世代の曲ではナニがお好きですか?」と
聞いたところ、この「硝子坂」を挙げていらしたのです。
この歌は、演歌のコード進行をロック調のビートに乗せた、少し不思議な曲です。
なにしろ宇崎竜童作曲作品ですからね。
当時は歌謡曲扱いでしたが、いまならニュー演歌の部類に入るでしょう。
それを高田みずえはサラリと歌いこなしています。
当時はそれほど話題になりませんでしたが、実は高田みずえは相当すばらしい歌唱力の持ち主で、
また「私は歌が上手いでしょ!」と主張するタイプではなく、どんな難局も涼しい顔で
唄ってしまう人なのです。
それを証拠に、後年彼女は桑田佳佑作詞作曲の難曲「私はピアノ」を涼しい顔で唄ってのけましたね。
you tubeにはデビュー当時のみずみずしい歌声が残されています。
そしてこの歌は、実は木ノ内みどりがオリジナルを歌っていたというのをご存知でしょうか?
随分タイプが違いますよね・・・。
オリジナルの方が、フォークアレンジで、後から出した高田みずえの方が演歌に近いアレンジ
というのが、珍しいパターンですね。
http://www.youtube.com/watch?v=_EShRxCheU4
こちらは フォークギターのアルペシオが印象的で、どこか拓郎サウンドを思わせる
ところがありますね。
こちらの方がすきと言う方も当然いるでしょう?
「硝子坂」 島武実 作詞 宇崎竜童 作曲
埋もれさせたくない歌謡曲の名曲を綴るコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
久しぶりの今回はちょっと趣向を変えて、いわゆる歌謡曲ではない90年代の名曲を取り上げます。
1988年ごろから日本はバブル景気に突入し、町はアッパーな雰囲気で満ち溢れていました。
ジュリアナ東京なんていうのもこの頃出来たものでした。
東京にもドッと世界中から人や物が流れ込んできて、この町は過剰な多幸感とスピードに
満ち溢れた場所となっていました。
しかし、そのバブル景気も1993年に終わりを告げます。
1994年ごろからは急に就職難民があふれる「日本の失われた10年」
がスタートすることになるのです。
その頃はやった曲がこの、「今夜はブギー・バック」でした。
渋谷系の王子こと小沢健二と、スチャダラパーが組んだこの曲は
本当にその頃の「ああ、パーティーが終わっちゃった。」という雰囲気にぴったりの名曲でした。
ちょうど宮台真司が「これからの若者は、豊かな町の中で『終わらない日常』をどう生き抜くかが問題となる」
といい始めた頃で、
僕自身も大学4年生というモラトリアムの最後の年に、バブルの残骸を眺めながら聞いた覚えがあります。
この時代感覚の鋭さが、この曲に単なる流行歌ではない魅力を与えているのではないでしょうか?
ちなみに今、HALCALI と東京No1SoulSetがこの曲をカバーしてますね。
こっちはこっちで可愛くていいですね。
東京No1SoulSetは、それこそピチカート・ファイブやらオリジナルラブ・フリッパーズギターと言った
渋谷系よりも微妙に遅く出てきた人たちですが、その彼らがこの曲をやるというのも
とても感慨深いです。
あの、パーティーが終わってから15年。次のパーティーが始まる予感がしますね。
全然関係ないですが、あの「堂本兄弟」で深キョンの横に座っている子は、この人だったんですね・・。
初めて知りました。HALCALIっていうと、髪の毛の長いニット帽を被った子を始めに思い浮かべます
よね?
さらに、you tube にはこんなレアトラックが転がっていました!
なんと 「今夜はブギーバック (smooth rap}スチャラダラパー feat. 小山田圭吾」
そう、あの小山田君がこの歌を歌っているのです!
うひゃ~!あの元相方にして、今となっては不倶戴天の敵とも言えるコーネリアスが
どうやら1995年のスチャダラパーのアルバムの中で、こんな事やってました。
ほんとにアレンジも買えずに、単純にオザケンのパートを唄うコーネリアス。
また、フリッパーズギターの二人は声が似てるんですよネェ・・。
you tube「今夜はブギーバック」smooth rap スチャダラパーfeat.小山田圭吾(音声のみ)
5月2日に RCサクセション タイマーズなどで活躍した
忌野清志郎さんが、ガンのために亡くなられたそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000100-mai-soci
まだ、58歳と若いのに・・・・。
早すぎますよね。
このコラムは 埋もれさせたくない歌謡曲の名曲を綴るコラムなのですが、
その歌謡曲とは対極にあった、日本のロックの先駆者 忌野清志郎さんをしのんで
この名曲をyou tubu からアップします。
RCサクセションと言えば・・・「雨上がりの夜空に」ですよね!
この歌の、ちょっと隠微なダブルミーニングの歌詞と
日本の四畳半フォークみたいな世界から解き放たれた、からっとした
旋律は、本当に素敵だと思います。
大学時代、私の2年上の先輩が、この歌を歌っちゃ、暴れていたのを
昨日のことのように思い出します。
さらに、井上陽水の代表曲の一つとして知られる 「帰れない二人」ですが、
実は清志郎さんとの共作であることは意外と知られていないかもしれません。
10年ほど前に二人で演奏したVTRもyou tube にありました。
清志郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
歌謡曲の埋もれさせたくない名曲を綴るコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
今回は 久保田早紀の1979年の大ヒット曲 「異邦人」です。
いや~、この曲は今でも 聴けば聞くほど完璧な歌ですね。
歌詞・メロディ・アレンジ 全てがエバーグリーンな
昭和後期の名曲と言っていいと思います。
無国籍風のメロディはもちろん
素晴らしいですし、また歌詞が最高です。
♪ 子供たちが 空に向かい 両手を広げ
鳥や雲や 夢までも 掴もうとしている
その姿は 昨日までの 何も知らない 私
あなたに この指が 届くと信じていた
この4行で シルクロードは、サマルカンド辺りの町の風景・匂い・砂埃と
その中を恋に破れた女が 傷心旅行で歩く 空虚な心が これ以上ないぐらい
伝わってきます。
また タイトルが素晴らしいです。「異邦人」ですよ。
当時 エトランゼ=異邦人という言葉がちょっと流行っていたんですけど、
この歌の中では、あえてその日本語の方だけを使っているところにも高いセンスを感じます。
今回改めてこの文章を書こうとして仰天したのですが、
この曲は 久保田早紀の作詞作曲なんですね。
しかも、見ていただいたら分かる通り、極上の美貌と歌声ですよ。
いや~改めてすごいですね。
この才能にはちょっと気圧されます。
僕は直前まで 阿久悠さん作詞なのでは?ぐらいに思っていたのですが、
いやはや、参りました。
彼女はこの一曲を残して彗星のように 芸能界を去りましたが
いや、十分でしょ?こんな圧倒的な才能をガッと刻み込んだんだから。
1979 「異邦人」 作詞 作曲 久保田早紀
埋もれさせたくない歌謡曲の名曲を綴るコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
今回は 1985年の名曲 「My Revolution」です。
この歌を【歌謡曲】というくくりで出すのは、ちょっとムリがある言えばその通りですが、
やはり30代にとって、忘れられない曲の一つといえるでしょう。
もともとCBSソニーの重役だった丸山さんという方が、理想のアーチスト達を育てるべく
立ち上げたEPICソニーというレーベルが80年代にありました。
ここからは「米米クラブ」「バービーボーイズ」「佐野元春」など多くのアーチストが
巣立っていきましたが、この渡辺美里は、その中でもシンボル的な存在でした。
もともとはCBSソニーが主催したオーディションの「ボーカリスト部門」の受賞者です。
(ちなみに、その時に 私が愛してやまない河合その子も発掘されています)
そして、彼女に与えられた曲が、若き小室哲哉が書いた、元祖「小室系」とも言われる
この曲だったのです。
とにかく 渡辺美里というと、その美貌もあって、アイドル的な人気もありました。
西武球場の夏のライブは、毎年テレビでも報じられて、80年代の高揚感に
ぴったりの雰囲気がありましたね。
まったく余談ですが、EPICソニーの総帥 丸山さんは、
あのガンの特効薬といわれた 「丸山ワクチン」の丸山博士の弟さんだったそうです。
埋もれさせたくない歌謡曲の名曲を綴るコラム 「歌謡曲スタンダードナンバー」
今回は番外編のその2として、この曲を取り上げます。
「東村山音頭」
そう!
稀代のコメディアン 志村けんの出世ギャグにして、
私の世代の人なら、小学生時代、必ず真似した曲です。
なんと恐ろしいことに、you tubeにあるんです!
いや~志村さんはこのときまだ 20代の半ばですよね。
マックボンボンという漫才師で、ドリフターズの付き人だった
志村さんが、荒井さんと入れ替わりに1972年ごろドリフに入って、
泣かず飛ばずの2~3年を経て、ドリフ一のボケ役として
のし上がった、出世ギャグです。
志村さんは、この後 「ヒゲダンス」など音楽を使った
ギャグを次々と生み出し、もともと田舎くさくて、糞尿譚が多かった
ドリフターズという泥臭い集団を、垢抜けたコメディー集団へと
転換させるきっかけとなりました。
♪ 東村山 庭先ゃ 多摩湖~
歌いましたよね。こういう歌詞だったとは、大人になって地図を見ていた
ある日「は!」と気がつきましたが・・・。

