日本語ラップの源流

今やラップは完全にJ-POPの中でも、何の違和感もなく大きな位置を占めています。
嵐やKATTUNといったジャニーズアイドルの中でも、一人はラップ担当がいるような
状態で、湘南乃風などのラップグループがチャートで1位を獲得することも
全然珍しい話ではありません。

しかし、今はそうですが、その昔・・・といっても1980年代にはラップは日本にこれほど
定着してなかったのです。

物の本によれば、はじめてラップが日本で広く知られるようになったのが、
1982年の映画「フラッシュダンス」公開だったと言われています。
この中で数曲 ヒップホップの曲が使われていたこともあり、またこの映画自体が
日本へのブレイクダンスの紹介を果たしたということもあり、ラップも一緒になって
輸入されました。

そして 様々な説がありますが、1987年いとうせいこうとTINNY-PUNX
が発表した「東京ブロンクス」が、日本語ラップの最初の衝撃の一つであったことは
間違いないでしょう。



23年前の映像ですが、今のPVの要素が全て入っています。凄い映像だと思います。

この いとうせいこうとTINNIY-PUNXには藤原ヒロシやら高木完と言った、その後のヒップホップ界を
代表する人物が入っています。たぶん原宿のピテカントロプスで夜な夜な集っていた、日本の
クラブミュージックのハシリとも言えるのでしょう。

さらに映像はのちにCMの巨匠となる中野裕之氏です。


ところが、この彼らよりも3年も早く ラップを「ザ・ベストテン」に入れた人物がいます。
そう、彼こそ 吉幾三
歌はもちろん 「俺ぁ東京さ行ぐだ」です。

この曲は、今も昔も単なるコミックソング的な扱いを受けていますが、
当時売れない演歌系シンガーソングライターだった吉が、アメリカのLPを聞いていた時に
偶然発見した ラップをもとに製作したということはあまり知られていません。 

しかもよく考えてみれば 自分の生活の不満を歌い上げているものですから、
ギャングスターラップのハシリと言ってもいい、革命的なものでした。



津軽のエミネム・・・ですね。

この曲が現在、さまざまな人によってマッシュアップされて、IKZO-MAD動画ブームを巻き起こした
のも、ようやく多くの人々によってこの曲がラップであり、ジャパニーズヒップホップの元祖である
ということが認められてきたという事なんでしょう。


私はずっと、この曲が 商業的な日本語ラップの源流だと思っていました。
インパクトも強かったですしね。
ところが、まだもっと先にあったのです。

それは 「俺たちひょうきん族」の中にありました。

この曲です。



1981年に発表された「山田邦子のかわいこぶりっこ」です。
まあ、ネタレコードだったわけですが、
当時のCXの人々の尖がった感覚が分かる いい曲ですよね。

当時10歳ぐらいの私は「すわりの悪い曲だな・・・」ぐらいにしか思っていなかったのですが
30年たって聞くとちょっと印象が違いますよね・・。
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by AWAchampion | 2010-06-21 00:23 | 懐かしいもの | Trackback | Comments(0)