2010年 12月 04日
「実写版ヤマト」を見ました
さて、例によって
しかも今回は核心に触れる大きなネタばれをします。
これからご覧になる予定の方は、
早く逃げて!!
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さて、今 この文章をご覧の方は
映画を既に見たか、見る気が無い方ということでいいですね!
まあ、はっきり言ってこの映画は、「トンデモ映画」になる匂いがプンプンしましたよね?
それこそ『少林少女』か『デビルマン』かという・・。
結論から言うと、そこまでメチャクチャではなかったと思います。でも、
やはり「アニメ版宇宙戦艦ヤマト」 が100とすれば
20ぐらいで終わってしまった映画といわざるを得ないと思います。
悪口を言うつもりではないので、まず 良かった点を挙げます。
VFXの白組さんは 非常に良い仕事をされていたと思います。
特に波動エンジンの描写は素晴らしかったと思います。
さらに、役者さんたちも、メインどころはヤマト世代が多いせいもあるかもしれませんが
与えられた持ち場を100%以上のお芝居で答えていたと思います。
さらにアナライザーの描写は、かなり良かったですね。
あれは面白かったです。あの描写に関しては山崎監督のウイットを感じました。
森雪がパイロットと言う設定も悪くなかったと思います。
これは脚本佐藤嗣麻子さんがいい仕事をしました。
アニメ版のヤマトを見ていなければ、それなりに登場人物の感情のつじつまは
あってる感じですし、木村拓哉氏のファンの方なら楽しめるんじゃないでしょうか?
次によくなかった点を挙げます。
これは 脚本と演出に尽きると思いますね。
特に脚本には非常に大きな問題があると思います。
まず一つ目は、ヤマトが旅に出るにあたっての 重要な設定である
「イスカンダル星のサーシャが、命を賭して持ってきた 波動エンジンの設計図と
スターシャからの 放射能除去装置を取りに来てくださいというメッセージ」と言うところが
大幅に端折られているのが 疑問です。
さらに、その放射能除去装置をとりに行くにあたっての 「地球滅亡の日まで あと365日」という
タイムクライシスや、
「20世紀の遺物である 戦艦大和は その装甲の厚さなどから、最後の宇宙戦艦として
わざわざ選ばれた」というような設定など、
SFをSFとして成り立たせている 重要な設定をことごとく軽視しているのです。
やはりきちんと
「放射能除去装置を イスカンダルに取りに行く。しかし間に合わないかもしれない
急げヤマトよ!」という 話の中心線を描かないといけなかったと思います。
この話はシンプルな話なんです。
シンプルであればあるほど、脇の人間ドラマが生きてくるんです!
「沖田は賭けに勝った!」なんて要りますか?
素直にスターシャから除去装置をもらいましょうよ!
これは本当に疑問が残ります。
というのは次の3点がエンディングに行くにしたがって非常に引っかかるからです。
1) 結局 イスカンダルの生命体が森雪に取り付いたわけですよね?
その大事な大事な森雪を置いて 島が果たして先にブリッジを離れるでしょうか?
2) 以前、ガミラスの生命体を池内氏から引き剥がすために使ったショックガンを
森雪にも使います。程度の差はあれど、行為は同じです。
そうすると 森雪の体から イスカンダルの生命体が離れてしまわないとおかしくないですか?
3)イスカンダルの生命体は その後地球にいるんですか?
この3点は本当に大きくエンディングに、われわれ観客にクエスチョンマークを投げかけます。
だったら、素直に放射能除去装置を出した方が良かったですよ。
さらに、この話は海軍の話ですから 当然軍隊としての規律や 上下関係などは
非常に厳しいはずです。
だからこそ その男だらけの厳しい世界の中で、長い航海の間に分かちがたい友情が芽生える
という物語が成り立つはずなんです。
一種 ホモセクシャル的な友情関係といってもいいと思います。
しかしキムタクふんする古代ほか、みんな 非常にゆるい上下関係で描かれているせいで、
沖田館長の父性と、それを受け継ぐ若武者という、父と子の擬似関係が成り立つ
物語が、全く機能していません。
この手の軍隊ものは 一般的に、私情が挟まった友情よりも規律の方が優先されるという
大きな点を外してはいけないと思います。
だからこそ イレギュラーな友情が効くんです。
はじめから友情で成り立つゆるい軍隊なんてありません。
そして なんといっても一番大きいのは
ガミラス星のデスラー イスカンダルのスターシャ サーシャ といった
重要人物をなくしてしまったことです。
ありえないでしょ?
デスラーがいてのヤマトでしょ?デスラーの美学ってありますよね?
しかも 松本零士の世界観の中では
男は 結局全てを超越したような美しい美女に 全てを許され抱かれる・・・というロマンがあるんです。
そこが全く なくては、たんなるドンパチ映画ですよ。
デスラーもスターシャに惚れていて、ヤマトの乗組員もスターシャに希望を抱いているのです。
全ての希望を具現化したスターシャがいなくて どうするんですか?
このお話は 非常に男性目線の物語です。
男臭い話なんです。アニメ版では森雪は セクハラされまくっているじゃないですか!
いいんですよそれで!
だからロマンが生まれるんです。 アニメ版に漂う濃厚な男のロマンの物語を
なんで 佐藤嗣麻子さんに書かせるのかが そもそも分かりません。
そりゃ 佐藤さんは、当時なんでアレだけ男性の心を捉えたのか理解できないと思いますよ。
実際理解できていないから、こういう脚本の方向性にしたんでしょうし。
これは スタッフィングの時点で失敗しています。
パティシエに、うまい寿司は握れません。
そして演出ですが、山崎監督も全然ほめられません。
既に多くの方が指摘しているでしょうけれど、ワープと波動砲が 危険を伴う行為だというところが
全然描けていません。
さらに、古代進が、森雪とキスするシーンですが、上官であり男性である古代が
森雪の部屋に入って、あのタイミングでキスをしてしまっては、あれは 思いっきりエロ上司です。
で、その後男勝りだった森雪は あからさまに古代と恋仲になりますが、
そんな緊張感のない事しますかね?
出撃の前にキスなんてしないでしょ?この映画に限らず 例えば戦国時代の映画でも
出陣の直前にキスする武将なんていないでしょ?
とにかく戦う軍隊としての緊張感の演出が まるでなされていません。
コスモタイガー隊の なまっている部下も 「訛ってないですって」なんてタメ口効かないでしょ?
「自分は訛っていないであります!」とも言わないでしょうね。
しかも 訛っているという交信をしたことがきっかけで 彼は死んでるんですよ?
緊張感なさ過ぎですよね?
さらに、最後の特攻の辺りの演出はもたもたしすぎです。
はっきり言って周りが静か過ぎます。アレだけ被弾しているのですから アラームだって鳴り響いて
いるでしょうし、もっと明かりもちかちかしているでしょうし、
「○○艦橋 被弾!もうダメです!」みたいな通信だってあるでしょう。
その中で 古代が『落ち着け!落ち着け!』と言うなら分かりますが
まったく撮影したまま の静けさで通しているのは 意味が分かりません。
音なんて後からつけられるものですし、バンバンSEやらなにやら つけた方が良かったと思います。
ガンガン騒がしかったからこそ、一人になったときに
戦場に初めて不気味な静けさが現れるわけですよね?
少なくとも白色彗星に特攻するときのヤマトはそういう描写でしたよ。
なんか イメージとしては ちゃんばらの途中で、カメラ目線で延々見栄を切っている
1940年代の東映の白塗り時代劇の大河内傳次郎を見ているみたいでした。
あと、山崎監督は ヤマトが宇宙を普通に宇宙を航行しているところの画を
削りすぎです。
土星の輪をくぐるとか、流星群と遭遇するとかあるじゃないですか?
松本零士の美学みたいなものが・・・!
あれをバッサリ切り落としているので、全然詩情に欠けるヤマトになってしまいました。
これは白組に責任はありません。
コンテを切っていないから悪いと思います。
最後も きちんと放射能除去装置を持って帰った地球が
青さを取り戻すところを 地球のFFで見せるべきでした。
古代の物語でもありますが、地球が救えるか救えないか?という物語ですからね、本筋は。
この映画は2時間15分ほどありました。
アニメの劇場版ヤマトとそれほど変わらない上映時間なのに
なんでしょう?このスケールの違いは?
それこそヤマトとタグボートぐらいのスケールの違いがありました。
この映画は 監督・脚本もそうですが、その上の方々の責任も大きいと思います。
はじめに監督としてキャスティングされた 樋口監督が
「デスラーは伊武雅刀さんの顔を青く塗って出したい」と言ったら下ろされた、という
話がまことしやかに伝えられていますが、それで大正解じゃないですか!
私が思うに、やっぱり日本のアニメーションのエポックメーキングとなった
作品ですし、「アニメ版ヤマトとは関係ないお話ですよ」と言うわけには
行かないと思うんです。
難しい選択だったとは思いますが、監督や脚本家さんが、舵取りをするのに
非常に困るような もっと上の方の意向があったのでは?と思いました。
だって山崎貴監督のようなキャリアを歩んで来られた方が、ヤマトを見ていないはずがないですし、
アニメ版に愛がなければ、この仕事を請けないでしょうから。
by AWAchampion
| 2010-12-04 00:31
| 映画・演劇など
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