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亡き師 久世光彦の思い出

亡き師と大変ゆかりの深い制作会社さんから、とてもいいお話で
声をかけてくださいました。
そこで、「久世さんがご存命なら、不肖の弟子の私になんと言ってくださっただろう?」
と思うと、ちょっと色んなことを考えてしまいました。

私は本当に弟子筋でいえば末端もいいところで、
助監督として数本 一番下(6番目の助監督とかでした)でついたことはあるんですが
カノックスではずっと傍系でした。
早くからTBSに出向に出されて、鴨下信一さんに美術番組でしごかれたり
「料理バンザイ」で早くからチーフADにしていただいたので、テレビマン的な出世は
それなりに早かったのですが、逆に久世さんの目には止まらないキャリアを
歩んでいました。

ですから入社から5年経っても名前を覚えていただけないような弟子でした。

ディレクターとして「東京ウォーキングマップ」を撮っている時に
久世さんに自分が撮ったモノの中で少し自信があった回を見ていただいて、
そこで初めて「こういう奴がいるんだ」とお知りになったようで、
それからは 末端の弟子ではありますが、作品に対して批評をくださるという
大変 光栄な立場で接していただいていました。

今でも自分の支えとなっているのは、
久世さんはご自分のキャリアの中で 紀行番組をお撮りになったことがなかったのですが、
私に「お前がやっている、あの番組は良いな。俺にも撮らせろ」と
言ってくださった事です。

もちろんTBSで日曜の朝5時からやっている番組に 巨匠が降臨するということは
ありませんでしたが、私にお世辞を言う事もないでしょうから、本心だったと思います。
それが私のささやかな自慢です。

でも、本当はキャリアの大きな転換となった「セサミストリート」を
見ていただきたかったです。

ミラーボウルギンギンの作品群は「ムー大陸」をお撮りになった久世さんの
お好きなタッチの ドラマだったはずです。

絶対「こういうのは俺の方が絶対良いものを撮る。お前じゃダメだ。俺に撮らせろ」と
おっしゃっただろうなぁ。と思いますし、
「セサミ」を見ていただいて、そういうふうに怒られたかったなぁと
思います。

師が亡くなって、来年3月で七回忌です。
by AWAchampion | 2011-09-15 04:48 | テレビ | Comments(0)