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南大東島 レポその1 『南大東島とは?』

さてさて 2016年 12月に 南大東島へ行ってきました
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南大東島とはいったい何なのか?

■位置  沖縄本島から東へ 350キロ
     太平洋上に浮かぶ絶海の孤島として知られています
     ちなみに那覇から貨客船で15時間!
     これは東京の日の出ふ頭から 八丈島までの時間に相当します
     つまりそれだけ 陸地から離れている島なのです

■歴史  江戸時代までは無人島で、文献に出てくるのは17世紀のロシアの紀行文
     そこにポロジノ・アイランドと出ています

     琉球王国からも 太平洋の内側に相当離れているので
     無人でしたが 明治維新後 
     明治18年 山形有朋の命により無人島が探検、測量され日本領として併合
     そして 明治32年 八丈島の大立者 玉置半右衛門によって 
     開拓入植がおこなれます

■砂糖の島 明治33年(1900年) 玉置に連れられた八丈島開拓団23名は
     八丈島から2か月あまりの 航海の末 断崖絶壁の南大東島に上陸
     岸壁にしがみついて 上陸するも あたり一面 マングローブの林
     したその時
     隊のムードメーカー 沖山権蔵老人が 島の中央部で池を発見
     これにより権蔵池と名付けられた 池の周りに集落が出来
     苦労の末 島はサトウキビのプランテーション農園として 開拓されました  

■治外法権 以後 玉置が作った精糖会社 玉置商会は八丈島や沖縄からどんどん入植者を
     受け入れ 最盛期には5000人を超える島民が暮らす島になりました

     開拓の成り立ち上、この島の土地はすべて 丸々玉置商会と
     それを玉置の死後引き継いだ東洋精糖の持ち物となり、島民は私有財産が
     与えられませんでした
     そして商店などや、郵便・治水・警察など行政活動も 東洋精糖が
     国に代わって行ったため、いつしか 紙幣も大日本帝国の発行した紙幣ではなく
     東洋精糖が発行した紙幣が流通
     日本でありながら日本ではない、独自の行政形態が作られていったのでした

■そして今 太平洋戦争中は 海軍航空隊が配備された 南大東島は
     戦後アメリカに占領されます
     治外法権状態はその時まで続いたので、なんと昭和21年までこの島は
     日本円が通じない島だったのです
     その後 アメリカの行政下で島民の私有財産が認められ
     昭和47年に日本に返還されたのです


そんな数奇な運命をたどった 南大東島
実際どんな島だったか?
レポしていきます!


     
     
     

    

by AWAchampion | 2017-01-04 13:04 | 南大東島レポ | Comments(0)