rino-diary テレビディレクター 岡田倫太郎です。:プロレス界展望
2023-08-24T22:03:16+09:00
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テレビ演出家 岡田倫太郎のブログです 私のHPは http://www.rino-bravo.com/ です。よろしく
Excite Blog
テリー・ファンクが亡くなった!
http://rokada.exblog.jp/241910730/
2023-08-24T22:03:00+09:00
2023-08-24T22:03:16+09:00
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プロレス界展望
テリーは兄ドリーとともに NWA王者兄弟として活躍。
特に全日本プロレスの立ち上げに際しては馬場さんを全面的に協力。
1970年代~80年代初頭まで、全日のエースは馬場でも鶴田でもなく
ファンクス兄弟、特にテリーでした。
彼らの試合で有名なのは
1977年日大講堂の ファンクス対ブッチャー、シーク組と
1979年蔵前国技館、世界最強タッグ選手権最終戦 ファンクス対ブッチャー、シーク組ですね
77年は、なんとブッチャーにフォークで左腕上腕部をざっくり刺されたテリーが
最後その左手でパンチを繰り出してシークをノックアウト!
79年は、その再戦でまさにプロレスの全てが詰まった熱狂空間を作り上げました。
私は80年代からの猪木信者ですが、この試合は何度も何度も動画で見ました。
テリーの事を嫌いなわけがありません。
猪木とテリーは同い年で、特にテリーは猪木の事を非常に意識していましたが
ついに一騎打ちは実現しませんでした。
兄のドリーと猪木は70年と71年に 2回フルタイムドローをしていて
両者とも「マイベストバウト」というほどの戦いをしたので
猪木対テリーも見たかったですね。
83年の引退試合も泣きながら見てましたよ…
ちょうど40年前 83年の8月31日でした
あんな感動的な引退セレモニーやっといて、1年で復帰するかね(笑)
そこから40年現役だったんですよ。ワハハハ いい加減極まりない!
そういういい加減なところもテリーの魅力でした。
故人のご冥福をお祈りいたします
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ミズーリ―州 セントルイス
http://rokada.exblog.jp/241878432/
2023-07-19T00:34:00+09:00
2023-07-19T00:34:40+09:00
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プロレス界展望
フロリダ州 タンパ
テキサス州 アマリロ
ノースカロライナ州 シャーロット
ジョージア州 アトランタ
これらの地名にピンっと来た方・・・
あなた
古参のプロレスファンですね?
今はアメリカのプロレスはWWEという巨大団体と
AEWという対抗団体がどんとある感じですが
その昔はテリトリー制といって、各州に王者をいただいた
興行会社があり、レスラーたちは全米の各都市を
コスチュームだけをもって 移動して戦っていました。
で、前述の
セントルイスは旧NWAの総本山
ミネアポリスは旧AWAの本拠地
タンパはヒロ・マツダやビリーグラハム、そしてカール・ゴッチがいたテリトリー
アマリロはご存じ ファンクス一家のおひざ元
シャーロットは80年代後半からNWAを牛耳った
ジム・クロケット・ジュニアプロモーターの本拠地で
アトランタは、90年代になってNWAを買収したテッド・ターナーの
おひざ元です。
私はシャーロットとアトランタは行ったことありますが
特にシャーロットは感動しましたねぇ・・・
で、いつの日かここに上げた 都市には行ってみたいんです。
多分何もない・・・と言ったらおかしいですが
NYやらLAとは違い 普通の都市なんですよ。
でもね、60年代70年代にかけて 特に日本のプロレスラーたちが
己の力だけを頼りに、これらの都市をパンツいっちょで渡り歩いた姿は
本当に私のあこがれでもあります。
特にセントルイスとミネアポリスは 感動して泣くかもしれませんね。
いや、アマリロもヤバいですね…。
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歴史って難しいんだなぁ
http://rokada.exblog.jp/241778479/
2023-04-14T22:03:00+09:00
2023-04-14T22:03:04+09:00
2023-04-14T22:03:04+09:00
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プロレス界展望
立場の違いで 同じ人の評価もずいぶん変わってきます。
それを見て「歴史って難しいものだなぁ」と実感しています。
例えばですけど
猪木さんは若手の日本プロレス時代に、イギリスのキャッチレスリングの猛者
【プロレスの神様】カール・ゴッチと出会ってストロングスタイルに開花したと
言われていますが、実は その前に大坪飛車角という中堅レスラーに
若手時代にしごかれまくっていたのです。
この大坪飛車角氏、実は高専柔道→七帝大柔道という講道館柔道とはまた別の
寝技に異常に特化した柔道の猛者だったのです。
彼が、若き日の猪木に多くの寝技、関節技を教えたので
のちに猪木が創設した新日本プロレスでは「極めっこ」と呼ばれる
関節技主体の練習となり
その後の日本でのMMAの萌芽につながったのです。
また、猪木の70年代の動画を見た 現在の総合格闘技の選手たちが
「この時代に日本人が知ってるはずのない ブラジル柔術の技を使っている!」と
しばしば驚くことがありますが、実はこの高専柔道の猛者だったのが
木村政男で、のちにブラジルでエリオ・グレイシーを破り、ブラジルに
柔術の種をまいた人物だったのです。
つまり猪木とグレイシー柔術は高専柔道でつながっていた・・・
というのが、今の猪木史観、総合格闘技史観です。
しかし・・・これを馬場さんの懐刀であり、のちにアメリカに定着して
世界最大のプロレス団体WWEの極東担当チーフスカウトにまで上り詰めた
猪木の数年後輩 佐藤昭雄氏の目から見ると、
「大坪さんは プロレスを全然知らないから、プロレスの動きを教えないで
変なことばかり教えていた」となるのです。
確かに、馬場さんが渡米してアメリカで大ブームを巻き起こしていた
1964年頃、大スターだったのはバディ・ロジャースだったりしたので
受け身とかロープワークが 今のように現代的、立体的なプロレスに
向かっていたのですが、そのプロレスの動きを大坪氏は知らなかったのでしょう。
そうなると佐藤昭雄氏らの目からは「大坪さんの薫陶を受けた人は
なんか試合がどんくさい」と見えていたのでしょう。
たった60年前のことですら、こんなに証言する人によって
見え方が違うのですから、歴史を残すって難しい事なんですね…。
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アントニオ猪木死去
http://rokada.exblog.jp/241595227/
2022-10-01T10:07:00+09:00
2022-10-01T10:07:34+09:00
2022-10-01T10:07:34+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
もう何年も前から病気が悪化していた姿はテレビでも放送されていましたが
こんなに急に亡くなってしまうなんて・・・。
私が猪木を始めてみたのは1981年。この年は初代タイガーマスクデビューなどもあって
私の世代の多くの人が、この時期にプロレスを見始めたはずです。
この年はライバル スタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン
タイガー・ジェット・シンなどを相手に戦う猪木の最後の全盛期で
本当に素晴らしいときに彼を見ました。
それから40年。私はずっと「燃える闘魂」アントニオ猪木信者の一人です。
元気があれば何でもできる。
この道をいけば どうなるものか?危ぶむなかれ 行けばわかるさ。
環状線の理論
風車の理論
ああ・・・
猪木の名言の数々が心をよぎります。
岡田倫太郎という人間を形成するうえで 本当に巨大な影響を与えてくれた人物です。
私の世代は 長嶋茂雄には遅すぎて、イチローには早すぎた世代ですから
アントニオ猪木こそスーパースターなのです。
故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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良い時代になりました…アントニオ猪木の青春
http://rokada.exblog.jp/241537338/
2022-07-24T16:48:00+09:00
2022-07-24T16:48:55+09:00
2022-07-24T16:48:55+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
最近はYouTubeで、なんと昔の日本プロレス時代の映像が
どういうわけかかなりの高画質で見られるようになりました。
(まあどなたかがアップロードしているんだと思いますが)
で、本当に昔の映像もたくさん出てくるのですが
特に 1971年 アントニオ猪木が27歳の時に
彼のオールタイム ベストバウトと言われる
時のNWA王者 ドリー・ファンク・ジュニアとの試合なども
普通に見られるのです。
これは素晴らしい。
で、今日お話ししたいのは その1か月後ぐらいに行われた
のちのNWA王者にして、元全米大学アマレス王者だった
ジャック・ブリスコVSアントニオ猪木の一戦も動画が
上がっていたのです。
これが素晴らしかった。
猪木の生涯ベストバウトというと 3つの60分フルタイム試合
71年 対ドリー・ファンク・ジュニア
74年 対ビル・ロビンソン
88年 対藤波辰爾
が挙げられますが、この3つは確かに本当に素晴らしい
ストロング・スタイルの極致、宝石のような試合ですが
結局猪木さんは勝ちきれなかった試合でもあります。
猪木さんが勝った試合で言うと この対ジャック・ブリスコ戦は
本当に素晴らしいものでした。
試合は60分3本勝負
1本目はあの、全米大学アマレス王者に対して
アントニオ猪木は アマレス技術で一歩も引かずに応戦します。
そして、アマレスで言う「ヒールホールド」(のちの総合格闘技で使われる
アンクルホールではなく、身体をひっくり返すためのアマレスの技です)を
駆使して、身体をローリングさせ、アマレスで言う3ポイントを取りまくるのです。
ブリスコも「おいおいアマレスなら俺もやるぜ」とばかりに応戦しますが
なんと猪木はブリッジなどを駆使して応戦! そのアマレス対決で二人は
世界最高峰ともいえる 「プロフェッショナル・レスリング」を展開します。
これが素晴らしい。
この攻防が10分ぐらい続くのですが、ちゃんと観客もじっと息をのんでみていて
当時の観客の質の高さが分かります。
試合は1本目がブリスコ
2本目は猪木が、素晴らしいブリッジの
ジャーマンスープレックス・ホールド(原爆固め)で取り、
3本目は当時の彼の必殺技、コブラツイストで勝利するのです。
でもまあ勝ち負けは正直どうでもいいです。
まさに「プロの」レスリングであり、さらに立体的な技も出てくる
更に試合時間も30分程度とすべてが完璧な試合でした。
ストロングスタイルのお手本の一つと言えるでしょう。
アメリカのWWEでもたまにガチ系のレスラーが
「Back to Inoki Era」(アントニオ猪木がやっていたプロレスを取り戻せ)と
いう事がありますが、ホントに世界中のプロレスファンに見てもらいたい
素晴らしい試合でした。
よく猪木は1977年の対モンスターマン後から使い始めた
延髄斬りをやるようになってから、試合のクオリティが落ちたと言われますが
確かにその通りかもしれません。
猪木は17歳までブラジルで円盤投げの選手で、力道山に見いだされて
格闘技経験なしで日本プロレスに入門しました。
そこから10年。
もちろん1971年のアントニオ猪木は
「プロレスの神様」カール・ゴッチの門下生でしたが
彼のいわゆる イギリス式の「キャッチ・レスリング」とも違う
ちゃんとした アマチュアレスリングで、2歳年上の元全米大学アマレス王者と
アマレスの技術で対等以上に渡り合っているのです。
これは本当にビックリしました。
日本プロレスは 力道山やら豊登、東富士などがいたので
相撲の鍛え方が主流だったといいますが、猪木を見たら
ちゃんとアマチュアレスリング技術も 世界最高峰のものを誇っていたのだなぁと
今更ながら驚きました。
なんか番組で、この頃の猪木の技術体系を今のMMAの人などに
解説してもらえるものとか作りたいですねぇ…。
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なんとあれから40年!1981年世界最強タッグリーグ戦
http://rokada.exblog.jp/241315128/
2021-12-25T03:57:00+09:00
2021-12-25T03:57:10+09:00
2021-12-25T03:57:10+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
さっき気が付いたんですけど、今年で何と40周年だったんですね。
え?
何がって?
それは プロレス史上最大の事件と言われる
「1981年12月13日 全日本プロレス 世界最強タッグリーグ戦 決勝」
スタン・ハンセン乱入事件 ですよ!
今でも目を閉じると思い出します。
実況:日本テレビ倉持アナウンサー「ブルーザー・ブロディの後ろに
テンガロンハットの大男が!・・・あっ!スタンハンセンだっ!」
解説:東京スポーツ山田隆「ハンセンですよっ!」
場外でテリー・ファンクに対して初めて放った
ウエスタン・ラリアットなんて スローモーションで頭の中で再現されます。
それほどインパクトがありました。
今と違ってテレビ局はそれほどシャレが効く感じではありませんでした。
特にプロレスは 力道山の死後 日本プロレスが喧嘩別れしたという事情もあり
テレビ朝日=新日本プロレス=アントニオ猪木と
日本テレビ=全日本プロレス=ジャイアント馬場は まさに冷戦構造で
お互いがお互いの事を世界に存在しないかのように放送していました。
そんな中で つい10日前まで アントニオ猪木の最大のライバルと
言われていたスタン・ハンセンが、全日本プロレス年末最大の試合に
乱入してきたわけですよ。
今で例えるなら、アメリカ大統領の就任式に
空から金正恩がパラシュートで降りてくるようなもんです。
そりゃビックリするでしょ?
当時小学生だった私も テレビの前でひっくり返りましたよ!
それから40年…。
そりゃ年を取るわけだわ。
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3カウントは突然に…
http://rokada.exblog.jp/240342198/
2020-05-23T18:49:00+09:00
2020-05-23T19:12:14+09:00
2020-05-23T18:49:23+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
まさにこれから大輪の花を開かせるというところだったのに…。
女子プロレスラーの木村花選手22歳が急逝されたとの一報がありました。
彼女は、母親もレスラー木村響子であり、
若くして生まれた子供を抱えたシングルマザーが
男性レスラーでさえしり込みするような
デスマッチで血を流しながら幼い娘を育てている…。という
ことで彼女が生まれた時からプロレスファンにはおなじみの
存在でした。
大人になって武藤選手の門下生になり、
正式に我々の前に現れた時に、「あの木村響子の娘が
こんなに美しく、そして未来が有望なレスラーに
育ったのか!」とみんな驚いたものです。
プロレスもしっかりできて、
美しい容姿にも恵まれ、性格も明るく、
レスラーとしての表現力もある若手レスラーとして、
本当に世界的に注目されていました。
多分あと2年もしたらアメリカの団体で大きく羽ばたいた事でしょう。
ところが、どうやら、とあるリアリティ・ショー
(あえて番組名は隠しますが)に出演したところ、
彼女はもともとヒール=悪役レスラーですから、求められるがまま、
そのようにふるまったところ、誹謗中傷を受けて、
悩んでいたという事らしく、それが死の遠因だといわれています。
しかもその番組は「恋愛リアリティ・ショー」ですから、
まだ若い彼女が、稀代の悪女のように立ち振る舞うには
無理があったのかもしれません。
それにしても、だからと言って若い女性に
ネット上で罵詈雑言を浴びせて良い理由にはなりません。
余りに突然にこんな結末が来るなんて…
一介のプロレスファンでしかなく面識も何もない私でさえ
深い喪失感に包まれています。
関係者の方の心痛をお察しいたします。
そして故人のご冥福をお祈りいたします
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プロレスと皇族方
http://rokada.exblog.jp/239242170/
2019-04-30T11:55:00+09:00
2019-04-30T11:55:47+09:00
2019-04-30T11:55:47+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
イベント現場責任者の立場にあった ”ケロ”田中さんが
こんな興味深いツイートをしていました
昔 新日本プロレス外国人チームと秋篠宮殿下が
同じ新幹線に乗り合わせたことがあって、
秋篠宮殿下は 実はプロレスのファンでらして
マサ斎藤さんの前に立ち止まって
「マサ斎藤さんですね。いつも見させていただいています」
とお声をかけられたそうです。
もちろんマサさんは直立不動!でお言葉を賜ったそうです。
しかしその車両には”インドの狂える虎”タイガー・ジェット・シンも同乗していました。
リング上ではサーベルを口にくわえて
観客やレスラーを襲いまくる 190センチのインドの大男です!
伊勢丹前でプライベートの猪木夫妻を襲ってブタ箱にぶち込まれた
狂人なのです。
だ、…大丈夫なのか?
外国人世話係のタイガー服部氏にも緊張が走ります。
しかし殿下は恐れることなく
「あれがタイガー・ジェット・シンさんですね」と微笑まれたそうです。
ええ話や・・・・。
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ザ・デストロイヤーの死に思う・・・
http://rokada.exblog.jp/239143663/
2019-03-10T05:03:00+09:00
2019-03-10T05:03:05+09:00
2019-03-10T05:03:05+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
彼はもともとアマチュアレスリングをやっていて
プロに転向。
あまりハンサムでは無かったため、プロモーターに勧められて
白いマスクをかぶり、悪役レスラーとして活躍しました。
特にロスを中心に暴れ回り、当時ロスにあったWWAのチャンピオンでもありました。
力道山がハワイと、日系人が多いロスをアメリカでの修業先に選んだ事から
交流が出来、旧日本プロレスにも頻繁に来るようになりました。
何と言っても彼の名声を日本で不動の者にしたのは
力道山との一戦。必殺足4の字固めをかけたままリングサイドに落ち
絡まってとれなくなった・・・と言う写真が 旧両国国技館の天井カメラで撮られ、
翌日新聞各紙に掲載された、例の一戦です。
あれは日テレで視聴率64%を記録しました。
45~65歳ぐらいの人は 足4の字固めをかけられるでしょうし、
かけられたこともあるでしょうし、『反転すると自分が痛い』というギミックも
よくご存知でしょう。
その頃は流血試合も辞さない、大悪党だったのですが
彼はよほど日本が水にあったのか?その後麻布十番に定住して
G馬場が立ち上げた全日本プロレスに全面協力する事になります。
1974年頃には全日本プロレスの親会社
日本テレビの土曜10時の「うわさのチャンネル」で
『おい!デスト!』とゴッドねぇちゃん 和田アキ子にどつかれる役を
コミカルに演じて 大人気になりましたね。
私もそこは薄ぼんやり覚えています。
(かなりの低俗番組でしたし、当時は3~4歳の子供に土曜10時のテレビを
見せる風習はありませんでした)
あれは当時はかなりプロレスファンには非難されたそうですが
本人は「とても楽しかった」と振り返っています。
もちろん、旗揚げ時にすでにジャイアント馬場は全盛期を過ぎていて、
かたやライバルアントニオ猪木が モハメド・アリと戦うなど絶頂期を迎えていた
新日本プロレスに対抗するために、日本テレビが要請したという事は言うまでもありません。
ザ・デストロイヤーは義理堅い男でしたから、力道山と戦った事で
彼と信頼関係が出来たので、その愛弟子、ジャイアント馬場をきちんと支えていこうと
決めたのです。
そして もともとはアマチュアレスリングの猛者ですから、
道場で若手や外国人レスラーに対して指導をする立場に回るのです。
のちにWWEで殿堂入りすることになる
かの”浮沈艦”スタン・ハンセンが新日本プロレスでアントニオ猪木と出会う前、
まだ業界に入りたての頃、全日本プロレスにやってきて、
ただのアメフトの兄ちゃんが、デストロイヤーに手玉に取られる試合が残っていて
私も見たことがあります。
新日本プロレス道場で アントニオ猪木以下を鍛え上げた”神様”カール・ゴッチは
とても有名で、その後のプロレス&総合格闘技界に巨大な足跡を残しましたが
実はデストロイヤーも非常に日本のプロレスに大きな足跡を残していると言えます。
悪役レスラーというのは特殊な仕事で、観客からすると悪行三昧をして
ずるいことばかりする酷い人達・・・という風に見えますが、
裏から見ると・・・
悪役レスラーが試合の流れを、『観客が盛り上がるように』積極的に
作り上げて、ハンサムなエースレスラーはそれに付いていく・・・と言う役割である
事が分かります。
つまり、プロレスという演芸形態において、ネタを書いているのは悪役レスラーで、
ハンサムはそれにリアクションやツッコミをする事で成り立っていると言えます。
その意味でザ・デストロイヤーは本当に名優であったのでしょう。
彼は引退後も麻布十番に住み、(アメリカにも家がありますが)
夏の十番商店街のお祭りでは毎年出店を出して 2000年代まで地元の人と交流して
いました。
私も見かけたことがあります。本当に日本が水にあったんでしょうね?
亡くなる3週間前まで『日本に行く』と言ってスクワットをしてリハビリしていた
そうです。
昭和を代表する名優のご冥福をお祈りいたします。
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ジャイアント馬場展に行く
http://rokada.exblog.jp/238993204/
2019-01-09T01:39:00+09:00
2019-01-11T01:04:44+09:00
2019-01-09T01:39:10+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
いやぁ・・・まさか こんな所でねぇ・・・
いや、行ってきたんですよ
「ジャイアント馬場展」にね。
このブログを見て下さってる方は10代とかはいらっしゃらないでしょうから
説明の必要も無いかも知れませんが
ジャイアント馬場さんとは 1960年代~1990年代にかけて大スターだった
日本のプロレスラーの事です。
彼は力道山門下で、終生のライバルアントニオ猪木と同日入門だと知られていますが
もともと巨人軍のピッチャーだった関係もあり、当初からエリート街道をまっしぐらに
走ります。
(逆に猪木はブラジル移民1世で、子供の時からコーヒー園で奴隷同然で働かされていた
17歳だったので、力道山から信じられないスパルタ&パワハラを受けますが、それは別の
機会に)
入門1年半でアメリカに渡り悪役として大ブレイク!
そりゃそうです。なにせ敗戦からまだ15年しか経ってないのに、そこ日本から
2メートル8センチで、ドロップキックも出来るような運動神経の男がやってくるんです。
それはそれは当時の人気は凄くて、かれは全米でメインが張れるレスラーへと
成長します。
まさにそれは 日本人でメジャーになったスポーツ選手第1号だったわけです
そんな馬場さんの 貴重な遺品を展示した展覧会が
なんと渋谷の東急本店で開かれました!
行くでしょ?
プロレスファンだもの。
ね?シュールでしょ?
あのBunkamuraのある東急本店に王者の魂が!!
1階のディオールの前に この看板が!!
3階に上がると もうそこから なんと「風よ吹け 呼べよ嵐」の音楽が!
アブドーラ・ザ・ブッチャーのテーマソングが婦人服売り場に!
どうしちゃったの?東急本店さん!!
イベントスペースの中に入るといきなり 超貴重なポスターが!!
まずはこれ!
ジャイアントシリーズが両国日大講堂で!
馬場さんの親友 人間発電所 ブルーノ・サンマルチノと、テキサス・ブロンコ テリーファンクが
来襲してます!
そして日本人を見ると、まだ鶴田も、旧日本プロ勢も入っていない全日本プロレス旗揚げ直後で
馬場さんの次がマシオ駒、そして大熊元司、サムソン・クツワダと、渋すぎるメンツ!
よく見るとドリーファンク・シニアもいます!すげぇー!多分1972年か73年とかでしょうね
それからこれ!
うおおおお!これは1973年の蔵前ですが
「プロレススーパースター列伝 ミル・マスカラス編」をお読みになった方は ご存知のはず!
そう!ザ・デストロイヤー対ミル・マスカラス 夢の対決の興行ですよ!
マスカラスがジャンプしてデストロイヤーを飛び越えようとしたら、覆面に鉄を入れた
反則頭突きを股間に打ち付けて ノーコンテストになった あれですよ!!
うおおおおお!
ポスターもう一枚だけ紹介させて下さい
これは例の1981年年末に世紀の大乱入をした スタン・ハンセンが明けて2月に来襲した
時なんでしょう。
ハンセンだけでもスゴイのに、AWA王者ニック・ボックウィンクル、仮面貴族ミル・マスカラス
ジプシージョー、に加えてパット・オコーナー、絞め殺し屋マーク・ルーインといった
豪華にも程がある顔ぶれ!
ポスターだけで日が暮れてしまうので 先に進みます
すると馬場さんがお出迎え
さらに奥には数々の名勝負で来ていたガウンが!
そして日プロ時代 馬場の時代を確実な物にしたワールドリーグ戦のトロフィ!
そして何より プロレス界の世界遺産
三冠ベルトの本物が飾られていました
まずはNWA認定 インターナショナルヘビー級
これは力道山が当時のNWA世界ヘビー級王者 にも匹敵するとして与えられたベルト
す、素晴らしい・・・
力道山由来の 日本で最も重要なプロレス遺産の一つです
よく見るとワシのマークが、猪木が作ったNWFベルトに似てるところが ニヤリとさせます。
続いてNWAが認可しPWFが認定する
PWFヘビー級ベルト
これはハワイのプロモーター ロード・ブレアーズが認定した
pacific wrestling federation のベルトで、馬場さんの代名詞です。
さらに、NWA認定UNベルト
これは日プロ時代に猪木に対して与えられた(一応猪木がテネシーで取ってきたことになってます)
猪木由来のベルトです
多分 プレートが入る部分には 元々 ANTONIO INOKIって入っていたんでしょう
うわ~~
これだけでもう泣きそうになりました
そしたらこの1/1 レプリカベルトが売ってるじゃないですか!
超欲しい!いくら?
ん?
んん?
1本・・・・20万円
諦めました
これは3冠ないとダメなんです
60万円はねぇ・・・。
30万なら買ってましたね。
他にも馬場さんの名刺
リキ・パレスですよ!
さらに馬場さんのカバン
などなど 色々貴重な物が展示されていました。
その隅に 馬場さんがお描きになった油絵もありました
大好きだったハワイの海を書いたものなのでしょう
なんだか、彼の心の内が見えたような気もしました・・・。
そして念願の馬場さんとの2ショット!
猪木派?馬場派?
そんなの関係無いです。
素晴らしい展覧会でした。
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プロレスの国際化はすすむ
http://rokada.exblog.jp/238312716/
2018-02-10T10:31:00+09:00
2018-02-10T10:36:00+09:00
2018-02-10T10:31:51+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
何気なく彼らのTシャツを見ると 「WXW」の文字が!
そこで英語で
「あなたのTシャツはドイツのプロレス団体のものですね?」と
話しかけてみました
すると「おお!そうなんですよ。日本に年末年始プロレスを見に来たんです」
との事
そこで「じゃあ東京ドームの新日本プロレスの興行を?」と聞くと
「もちろんです。でもそれだけじゃありません。7日間で11興行見ました」
うわ~!年末年始で11興行!
彼ら曰く
「新日本はもちろんだけど、大日本プロレスはドイツのWXWと提携してたから見たし
DDT,全日本、女子のプロレスも見たよ」
「日本にプロレスを見に来るのは初めてじゃ無いんだ。2年ぐらい前に新日本プロレスの
G1クライマックスを見に来たよ」
「日本は良いねぇ。とくに後楽園ホールはスゴイよ。」
「今はインターネットがあるから、新日の大会はチェックしてるよ。クリスジェリコが
来たのはヒットだったねぇ」
いやぁ、ZZトップスみたいな ゴツいひげ面の巨漢たちでしたが
良い人たちでした。
それから私、東京ドーム大会を盛り上げるために こんなビデオを作りました
この中で外国人ファンがコメントしていますが、これは私自身が
ある日の普通の興行の時にインタビューさせてもらいました。
すると結構いま本当に外国からのファンがいるんですね。
コメントは泣く泣く切りましたが
例えば
「フロリダのタンパから来たよ。そうそう、ホーガンとかHBKとかいた町さ。
それにしても ここが有名な後楽園ホールなんだね。
みんなこの会場から大きくなったんだよね」
「カナダの中国系なんだけど、カナダでも新日本プロレスはみんな
ネットで見てるよ。ケニーオメガ最高!」
「イギリスで柔道やっていて、講道館に来たついでに見に来ました。
プロレスは大好きなのでもう3回目です。ドームはオカダ対内藤メッチャ楽しみ。」
「(酔っ払って)Yeah!アメリカでもプロレス見たこと無いけど、東京に来たら
後楽園ホールでプロレス見なきゃってガイドブックに書いてあったから
みんなで(7人ぐらいの悪ガキ)来たぜぇ!」
などなど、本当にスゴイ
いやぁ世界的にマジで東京はプロレスの都として知られているようです。
他にも
イギリスから来たファンで「新日本プロレスの東京ドーム大会のチケットは当然買ったさ。
それより今後楽園ホールの売店で翌日1.5の新日本プロレスのチケット買おうとしたんだけど
もう(11月)売り切れなんだよ。仕方ないからその後のファンタスティカマニア買ったよ」
みたいな人もいました。
新日本プロレスがNJPWワールドというネット配信をして英語コメントをつけているのも
非常に大きいです
やっぱり今はもうネットが全世界を結んでいるんですよね?
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中邑真輔 WWEのSMACKDOWN LIVE登場の瞬間 世界は・・・
http://rokada.exblog.jp/23773103/
2017-04-06T01:16:00+09:00
2017-04-06T01:26:52+09:00
2017-04-06T01:16:58+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
「King of Strong Stlye」とまで呼んでいた 中邑真輔が
世界最大のプロレス団体 WWEに電撃移籍。衝撃的なデビュー戦をやってのけ
世界をあっと言わせました
そして今年、まさに満を持して WWEの1軍といわれる
RAWとSMACKDOWNのうちの SMACKDOWNに昇格したのです
今まで確かに何人か日本人レスラーが1軍に昇格しました
しかし中邑は、新日本プロレス時代の名前・ニックネーム・ファイトスタイル
コスチュームをすべてそのままに 堂々と世界で渡り歩いているのです。
今回の登場の状況を解説しますと
日曜日に行われたWWE最大のイベント レッスルマニア33の中で
WWEのちびっ子人気NO1 ジョン・シナがニッキー・ベラに
公開プロポーズするというシーンがありました
それをスマックダウンの中で 口の立つ悪党ミズが
シナの格好をして出てきて、さんざん馬鹿にしたのです
で、「シナはいなくなって 清々したよ。なぁ!」と呼びかけたところ
いきなりバイオリニストが登場 バイオリンを弾き始めます
「ん?」となるミズと観客
するとその旋律はやがて 中邑真輔のテーマソングのイントロを奏でます
気がついた観客が大騒ぎになったところで
真打ち登場!
2万人の会場が一体となって そのサプライズ登場を
テーマソングの合唱でお祝いしたのです
その衝撃を WWE公式動画は このように伝えています
で、アメリカ人は変な人たちですね
「中邑真輔登場の瞬間」という動画がたくさん上がっています
色々見せちゃう!
まずこれ!
つづいてこれ!
これは男の人が「何かサプライズみたいな事やってくれよ。頼むよ!」
とか言ってると バイオリンが鳴って喜んでます
そしてこれ!
さらにこれ!
そして試合後の会場はこんなことに!
帰り道で中邑真輔の入場曲大合唱ですよ!
すばらしい!
すばらしいね!
プロレスファンで良かった!
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史上初 6スターマッチの反響
http://rokada.exblog.jp/23540908/
2017-01-11T23:49:00+09:00
2017-01-11T23:49:32+09:00
2017-01-11T23:49:32+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
そのうち 近年11回は「レッスルキングダム」という名前で開催されています
近年 ネット環境の充実などから、新日本プロレスは海外のファンにも
普通に見られるようになりました
そして今回の レッスルキングダム11のメインイベント
IWGPヘビー級選手権
オカダ・カズチカ対ケニー・オメガの 46分45秒にも渡る死闘は
英語実況され 全世界に波紋を投げかけました
特に1983年からプロレス記者として活躍している
アメリカ プロレスマスコミ界の泰斗 デイブ・メルツァー氏が
毎回ビッグマッチに 5点満点でつけているレイティングで
初めて この試合に 5点満点中6点をつけました
そしてこの試合を「The Best Match Ever」と呼んだのです
彼はこの試合を褒めるのに WWEレッスルマニアで行われた
伝説的な試合 アンダーテイカー対ショーン・マイケルズを例に出し
「あの試合よりも良い試合だった」と評しました
これは全世界のプロレスファンにとんでもない衝撃を与えました
「あのメルツァが今までで一番いい試合と呼ぶ試合はどんなものなんだろう?」
そこでここ1週間ほどで
you tube で不法にではありますが、この試合のハイライトがアップロードされ
プロレスファン達がそれを見て 驚いているリアクション動画が多数アップされています
それを色々ご紹介したいと思います
それぞれ5分程度の動画です
まずはこれ
アメリカの30代後半のプロレスファンがコメントしている動画です
これは比較的英語が分かりやすいですね。彼は新日東京ドーム大会の説明・オカダとIWGPの説明
そしてケニーオメガとバレットクラブの説明をしたのち 試合評をしています
・長いからいいというわけではないが、46分ものあいだ 全く無駄なところが無い
・すでに最後の10分をのこして 5点満点の試合を達成していたが そこからが凄い
文字通り死力を尽くして戦って、そしていろんなモノが重なって 我々をとんでもない高みまで
つれて行った!
つづいて ドイツのファンのリアクション動画
これはライブで見ているモノのようです
これは言葉は分かりませんが、所々で英語で「ホントかよ!」「マジか!」と叫んでいて
最後 回転式のツームストンパイルドライバーが決まり、レインメイカーが当たったところは
英語とドイツ語が混じって「すごいぞ!今まで見た試合で一番すげぇ!」とさけんでいます
そしてデイブ・メルツァー自身のコメントです
抄訳
・5時間にも及ぶ興行だったがとんでもなく素晴らしかった(ランブルを除く)
・そしてケニー対オカダは まさにアンダーテイカー対HBKを上回る素晴らしさだった
・(トーク相手が)いや、俺は3wayタッグで寝ちゃった
そしたらメインがとんでもないことになっていてビビった
・みんなケニーのことばかりしか言わないが
オカダはとんでもない素晴らしいレスラーだ!
・本当に素晴らしすぎたが 素晴らしいが故にネガティブなことも言わせてくれ
まずは90年代の三沢・小橋・川田のようなクビを狙った試合にとても似ていて
これはダメだ。だれもクビは鍛えられない。ダイナマイトキッドもそうだが
後年影響が出てくる
・あと、場外の戦いも危なすぎる。特に日本のリングの場外は障害物が多すぎて
事故が起こりかねない あれは良くない
・しかし試合は本当に素晴らしかった。最高の戦いをしながら、ストーリーを語り
観客の感情を動かしていた。もちろんそういう試合はあったけど、この試合を
6点の試合にしているのは、その両者の素晴らしい身体能力だ
メキシコのルチャが身体能力に優れているのは知っているけど、そういうことじゃ無い
全ての動きがストーリーや感情の動きとマッチしていて、しかも見たことも無い動きだという
ことである
・そして・・・ 新日は7月にLAに来るときには 絶対にケニーを王者にすべき
オカダよりケニーは世界マーケットに映える。もちろんオカダはすばらしいけど
かれはあと10年対棚橋・対柴田などで食える
そうじゃないんだ。ケニーのとんでもないカリスマ性を ここで売るべき
それには理由がある
・それは・・・本音を言うと、私はWWEが好きだ
WWEは彼をなんとしても獲得すべきだ。ケニーはAJより若く、才能にあふれてて
ハンサムで、弁も立つ。全てを持っているとんでもない選手だ
次のジョン・シナであるべき選手だと思う
絶対にWWEはケニーを逃がすな
だそうです・・・最後の方はかなり複雑な気持ちになりますが
でも、それだけのとんでもないインパクトを残したって事ですね
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アメリカで出ている『日本にプロレス観戦にいく本』
http://rokada.exblog.jp/23526617/
2017-01-06T11:13:00+09:00
2017-01-06T11:13:36+09:00
2017-01-06T11:13:36+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
「8月に日本に行くんですが、そこでどうしてもプロレスが見たいんです
どうしたらいいですか?」という質問があり
その答えとしてこんな本が紹介されていました
これは『日本にプロレスを見に行く方法』と題した本で
どうやら本当に多くのアメリカ人が
いまや日本にプロレスを見に来る時代になったみたいですね
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プロレスファンから見たドナルド・トランプ
http://rokada.exblog.jp/22810297/
2016-05-15T00:27:00+09:00
2016-05-15T00:27:02+09:00
2016-05-15T00:27:02+09:00
AWAchampion
プロレス界展望
プロレスファン的には トランプといえば
これですよね?
WWEで行われた
大富豪対決 WWEのオーナー ビンス・マクマホン対ドナルド・トランプ
彼らが推す選手同士が戦って
負けたほうが髪の毛を剃る。なぜならお互いヅラ疑惑があるから・・・
というばかばかしさ
まあご覧ください
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